続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)梧桐の。

2021-02-03 07:15:16 | 飯島晴子

   梧桐の匂童女の筵の中

 筵とは敷物の総称であり、敷(シキ)は《子規》を指している。
 正岡子規の河東碧梧桐(自由律俳句)に対する評/匂(風情・気配)は《無心の草木を見るが如し》であり、わたくしも全く童女(同上)である。

 梧桐はゴ・トウと読んで、語、套。
 匂童女はニオ・ドウ・ジョと読んで、匂、導、助。
 筵の中はエン・チュウと読んで、炎、注。
☆語(言葉)を套(おおう)。
 匂(風情・気配)を導く助けは、炎(燃えるように激しいもの)を注(書き記すこと)である。

 梧桐はゴ・トウと読んで、吾、悼。
 匂童女はニオウ・ドウ・ジョと読んで、仁王、慟、叙。
 筵の中はエン・チュウと読んで、怨、誅。
☆吾(わたくし)は悼(死を悲しむ)。
 仁王さまに慟(身もだえして悲しむ)と、叙(のべる)。
 怨(恨めしく思う)誅(罪を責め咎めること)を。


R.M『誓言』

2021-02-03 06:36:45 | 美術ノート

   『誓言』

 朝焼け、あるいは夕焼けだろうか、海面を照らす真っ赤な太陽。そして石化された巨大なリンゴ(果実)が岸(地上)に周りの岩石によって掲げられている。
 何を意味しているのだろう、巨大なリンゴ(果実)は知恵の実だろうか。赤い太陽は朝と昼を分け、天と地がそこに在る。天地創造の始まりが膨大な時間を経て固まっている、不動の態である。

『誓言』神は天と地とを創造された。・・・神は「光あれ」と言われた。・・・光りを昼と名づけ、闇を夜と名づけた。・・・地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。(『創世記』より)世界の始まりである。少なくともそう教えられた世界は劫(砂の粒を数えるほどの時間)を幾たびも経て辿りついた超未来の光景において尚、このような形で証拠として残存するのではないか。という憶測。

 時代を支配した信仰の形は幾世代経た後までも消滅し得ないのではないか。少なからず生活の規範とした教え、この拘束はこれほどまでに免れ得ないものなのだという諦念めく悟りがここに在る。目に見えない呪縛からの解放はなく静かに甘んじて生きる、という結論の証明が『誓言』の光景につながったのだと思う。
 信仰に対する大いなる肯定、しかし、少なくとも永遠不滅の礼讃とは違和感があり、不審めく否定を垣間見せている。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3585。

2021-02-03 06:15:38 | カフカ覚書

きみたち客室女中は、いつも鍵穴からスパイをするようなことばかりしているものだから、自分が実際に見たわずかなもので全体を大袈裟に、とんちんかんに推しはかるような考えかたしかできないのだ。


☆作り話に鳴れているから、いつも鍵穴からスパイのようなことを続けているんだ。現実のつまらない小事を大袈裟に虚偽の結論ででっち上げるのだ。