続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)藪虱。

2021-02-11 06:46:23 | 飯島晴子

    藪虱横を兄たち流れてをり

 藪虱はセリ科の植物(60㎝くらい)、その傍らを兄たちが通過していったという光景ですが、詞(字)の持つ意味の膨らみやリズムによって、ある種の時空間を成立させるという凄技、全編において言える気迫、才気に、ただただ脱帽!解釈だけでなくほかの見地からの探求も必須だと感じる。

 藪虱はソウ・シツと読んで、双、質。
 横を兄たち(横兄達)はオウ・キョウ・タチと読んで、応、況、立。
 流れてをり(流居)はリュウ・キョと読んで、立、拠。
☆双(二つ)の質(内容)は応(他のものと釣り合う)況(ありさま)があり、立(成りたつ)拠(より所)がある。

 藪虱はソウ・シツと読んで、草、質。
 横を兄たち(横兄達)はオウ・ケイ・タチと読んで、央、茎、立。
 流れてをり(流居)はリュウ・キョと読んで、柳、嘘。
☆草の質(性質)は、央(真ん中)に茎が立ち、柳のようだと嘘(ため息をつく)。

 藪虱はソウ・シツと読んで、想、質。
 横を兄たち(横兄達)はオウ・ケイ・タチと読んで、追う、系、断ち。
 流れてをり(流居)はリュウ・キョと読んで、流、挙。
☆想(考え)を質(問いただし)追(追及する)。
 系(つながり)を断ち、流(一か所に留まらない)挙(企て/計画)がある。


『飯島晴子』(私的解釈)柿剥きが。

2021-02-11 06:28:14 | 飯島晴子

   柿剥きが来てゐる真水のくらがりや

 柿剥きはシ・ハクと読んで、詞、迫。
 来てゐる(来居)はライ・キョと読んで、頼、拠。
 真水のくらがり(真水暗)はシン・スイ・アンと読んで、新、吹、案。
☆詞(言葉)に迫り頼る拠(よりどころ)は、新しい吹(風が吹く)案(考え)である。

 柿剥きはシ・ハクと読んで、死、迫。
 来てゐる(来居)はライ・キョと読んで、瀬、挙。
 真水のくらがり(真水暗)はシン・スイ・アンと読んで、震、衰、闇。
☆死が迫る瀬(時)、挙(ふるまい)は震(ふるえ慄き)衰(勢いをなくし)闇である。

 柿剥きはシ・ハクと読んで、師、薄。
 来てゐる(来居)はライ・キョと読んで、礼、虚。
 真水のくらがり(真水暗)はシン・スイ・アンと読んで、慎、遂、行。
☆師を軽んじる礼は、虚(うわべ)だけである。
 慎重(過ちの無いように気を配ること)を遂(やりとげる)だけの行いである。


『飯島晴子』(私的解釈)山坂に。

2021-02-11 06:08:54 | 飯島晴子

   山坂に生米こぼす母の秋

 山坂はサン・ハンと読んで、三、飯。
 生米こぼす(生米零)はショウ・マイ・レイと読んで、少、毎、零。
☆三(三度)の飯(食事)は、少(わずかな量)であり、毎(そのたび)にこぼす母の晩年だった。

 山坂はサン・ハンと読んで、算、判、。
 生米こぼす(生米零)はショウ・マイ・レイと読んで、章、邁、励。
 母の秋はボ・シュウと読んで、簿、習。
☆算(見当をつけ)判(可否を定める)章である。
 邁(止まらずに遠くへ進むように)励(力を尽くし)簿(ノート)から習(繰り返し学んで身につける)。

 山坂はサン・バンと読んで、三、番。
 生米こぼす(生米零)はセイ・マイ・レイと読んで、成、毎、黎。
 母の秋はボ・シュウと読んで、募、修。
☆三つを番(かわるがわる)成しとげる。
 毎(そのたび)に黎(多く)を募り、修理(おさめている)。