続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

自己流でいく。

2021-02-17 07:33:33 | 日常

 自分の日常など余りに些細で、飯島春子など読んでいると書くに及ばずの感があり、消してしまう。でも誰のために書いているのかを考えると、唯一自分のためである。読んでもらえればありがたいが、人の眼差しを意識の外に書く。その初心を考えれば、「こんな些細なこと書いてごめんなさい」と見えない相手に気を使いすぎるのはおかしい。

 体力が落ち、よろよろ家事をこなしているわたし、74才のお婆さんの日常を愚痴りながら記録していく。恥ずかしがることもないと思いなおしている。
 コロナ禍でのマスク生活で、口紅をつけたのは一年余りのうちたった二度。化粧を忘れ、身づくろいを忘れ、履き古した運動靴でそそくさと惣菜の買い出し、そんな日常。最も顕著なのは《物忘れ》で、忘れたことを忘れるボケ老人と化している。だからこそ・・・。


『飯島晴子』(私的解釈)綿虫や。

2021-02-17 07:14:39 | 飯島晴子

   綿虫や母の枕に石つめむ

(もうろうとしている母に、つい非情な言葉や態度で接してしまうことへの悔恨)

 綿虫はメン・チュウと読んで、綿、誅。
 母の枕はボ・チンと読んで、暮、沈。
 石つめむ(石詰)はシャク・キツと読んで、癪、吃。
☆綿(細く長く続く)誅(罪を咎める)暮らしは沈(気分が沈む)。
 癪(腹立ち)を吃(身に感じている)。

 綿虫はメン・チュウと読んで、綿、註。
 母の枕はボ・チンと読んで、簿、珍。
 石つめむ(石詰)はシャク・キツと読んで、釈、詰。
☆綿(細かく)註(意味を書き記す)簿(ノート)は珍しい。
 釈(意味を解き明かすこと)を詰(つめこんでいる)。

 綿虫はメン・ムシと読んで、面、無視。
 母の枕はボ・チンと読んで、募、珍。
 石つめむ(石詰)はシャク・キツと読んで、釈・吉。
☆面(物のおもて)を無視する。
 募(広くつのる)珍(普通と違っている)釈(意味を解き明かすこと)は、吉(良いこと)である。


R.M『ピレネーの城』③

2021-02-17 06:49:57 | 美術ノート

  視線(焦点)は、水平線にあり、巨岩石は見上げる位置(中空)にある。
 巨岩石(世界)を見る眼差しはずっと、遥か遠い距離の隔たりがある。ずっと遠く、たとえば地球から月を、月から地球を見るといった遠隔である。二つの視線の合成であるが、時間にもそれに付随した差異があり、人智で測り得ない次元の交錯、重なりである。

 この画の必然は何か。
 現世が硬質(岩石)に変わり果てるほどの時間を経過する…つまり未来人の記憶に抵触したときの想像上の形を任意に置換し、空に浮かべたというわけである。

 現世、今の地球の歴史を唯一と考えるから、《岩石の上の城》を見れば現世が未来の過去だと思うが、【もしかしたら】を加えると、更なる過去があったのではないかと考えられる。地球創世の以前であり、今の太陽系の前である。

 輪廻・・・はかり知れない過去があり、はかり知れない未来があることの証明である。『ピレネーの城』の幻は、繰り返される宇宙の歴史の痕跡である。


 写真は『マグリット』展・図録より

 


『城』3594。

2021-02-17 06:39:33 | カフカ覚書

というのはだね、客室付きだと、いつも秘書たちだけを相手にしておればよいのだが、酒場では、秘書たちの上役の給仕をさせてもらえるにしても、たとえば、ぼくみたいなごく身分の低い連中ともつきあわなくてはならないからね。


☆来世では、常に公表してないが、幽霊の場所が公表されることはない。たとえば卑しい民衆とも共に一緒にいるというわけです。