続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)青杉に。

2021-02-05 07:34:39 | 飯島晴子

   青杉に肉親とほる夏神楽

 青杉はセイ・サンと読んで、凄、惨。
 肉親とほる(肉親通)はニク・シン・ツウと読んで、憎、震、痛。
 夏神楽はカ・ジン・ラクと読んで、禍、尽、落。
☆凄惨(痛ましくむごいさま)である。
 憎い震(地震)、痛(激しい)禍(災難)で、尽(すべてを無くした)落(村里)がある。

 青杉はショウ・サンと読んで、照、算。
 肉親とほる(肉親通)ニク・シン・ツウと読んで、肉、審、通。
 夏神楽はカ、ジン・ラクと読んで、化、腎、絡。
☆照(てらし合わせて)算(見当をつける)肉(内容)、審(正しいかどうかを明らかにすること)を通(最初から最後までやり通す)。
 化(形、性質を変えて別のものになる)腎(要)の絡(すじみち)がある。

 青杉はショウ・と読んで、性、散。
 肉親とほる(肉親通)ニク・シン・ツウと読んで、肉、深、通。
 夏神楽はカ・ジン・ラクと読んで、過、尽、落。
☆性(本能的な欲望)の散(自由気ままな)肉(肉体)の、深く通じる(男女が不義の交わりをする)過(あやまち)の尽(すべて)は、落(物淋しい)。


『飯島晴子』(私的解釈)桔梗山。

2021-02-05 07:09:06 | 飯島晴子

   桔梗山下りくるひとの手もとかな

 桔梗山はケツ・コウ・サンと読んで、決、行、三。
 下りくるひと(下来人)はカ・ライ・ニンと読んで、化、磊、認。
 手もとかな(手元哉)はシュ・ガン・カと読んで、主、眼、果。
☆決行(予定通り思い切って実行する)、三つの化(形、性質を変えて別のものになる)。
 磊(小さなことにこだわらないで)認める。
 主眼は果(結末)にある。

 桔梗山はキチ・キョウ・サンと読んで、基地、況、惨。
 下りくるひと(下来人)はカ・ライ・ニンと読んで、禍、頼、忍。
 手もとかな(手元哉)はシュ・ゲン・ヤと読んで、主・言・也。
☆基地の況(ありさま)を惨(痛ましく思う)。
 禍(災難)であり、頼りながら忍(我慢する)。
 主(国のトップ)の言(言葉)也。

 桔梗山はケツ・キョウ・サンと読んで、結、協、三。
 下りくるひと(下来人)はゲ・ライ・ジンと読んで、解、頼、訊。
 手もとかな(手元哉)はシュ・ゲン・サイはと読んで、殊、源、採。
☆結(物事の締めくくり/バラバラのものを固め)三つを解く。
 頼りは訊(問いただすこと)である。
 殊(異なる)源を採(選び取る)。


R.M『旅の想い出』②

2021-02-05 06:36:09 | 美術ノート

 想い出、つまり、この画の時空はすでに過去だということである。石化し果てるほどの時間は想像を超えるが、更にそれを遡る時間がここに在る。
 膨大な時間、計り得ることの困難な時間の想定。

 彼の衣服、リンゴの食、壁・テーブルにみる住空間…衣食住という生活の基本設定、わたし達がずっと続くと信じている時空である。しかし、それが膠着状態はおろか変質し、時間を止めている。石化であれば、次の動きは無く、日常そのものの墓標である。美醜、善悪もなく、善という精神的余地も残されていない。

 空虚、存在しているが、無空と感じるのは物語の進展が断絶されているからである。ここからの未来は崩壊を待つのみであって、幸福でも不幸でもない《精神の欠如》があるばかりである。

 マグリットは何故このような場面を想定したのだろう。現今の世界に望みを抱けないためだろうか、小さな平和の温存だろうか。百獣の王であるライオンを侍らせている男は、世界への静かなる反逆心を抱いているのだろうか。不滅の告発は死してもなお強い信念として縷々続くという意味だろうか。

 語ることなく語るマグリットの論である。
 長すぎる旅ではあるが、鑑賞者に答えを強いるものではない。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3587。

2021-02-05 06:22:47 | カフカ覚書

最もほんとうらしい説明は、きみもちょっとふれたけれども十分に利用しなかった説明、つまり、ぼくが彼女をほったらかしておいたということだ。これは、残念ながらほんとうさ。ぼくは、たしかにフリーダをほったらかしておいた。が、それには、ここで述べるわけにはいかない特別な理由があったんだ。彼女がまた帰ってきてくれたら、ぼくはうれしいだろう。しかし、ぼくは、すぐまた彼女をほったらかしにしはじめるだろうね。


☆もっともありそうな説明は、あなたも軽く触れたように見える、しかしながら、軽んじてしまった。わたしは彼女を放っておいた。これは不幸にも本当の事だ。しかしながら、ここではきかせられない特別な理由があり、彼女が再び帰って来るのはいいけれど、わたしはすぐ再び放っておくだろうね。