続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)蓬葉の。

2021-02-24 07:11:35 | 飯島晴子

   蓬葉の繊かくて母消えられぬ

 蓬葉はホウ・ヨウと読んで、峰、様。
 繊かくてはセンと読んで、茜。
 母消えられぬはボ・ショウと読んで、暮、粧。
☆峰(高い山)の様(姿)。茜に暮れていく。粧(装い)がある。(母の最期、母と娘の惜別の情、自然の論理に従わないわけにはいかない無念)

 蓬葉はホウ・ヨウと読んで、放、要。
 繊かくてはセンと読んで、遷。
 母消えられぬはボ・ショウと読んで、募、試用。
☆放(思いのままにすること)が要(かなめ)の遷(移り変わり)がある。
 募(広く求めて)試用(試しに使うこと)である。

 蓬葉はホウ・ヨウと読んで、法、用。
 繊かくてはセンと読んで、宣。
 母消えられぬはボ・ショウと読んで、簿、抄。
☆法(手立て)を用(必要)と、宣べる。
 簿(ノート)に抄(抜き書き・注釈)がある。


R.M『記念日』

2021-02-24 06:36:22 | 美術ノート

   『記念日』

 室内に巨岩石が鎮座している。岩は部屋いっぱいの大きさであれば、入り口から入れたとは考えにくい。
 岩が先に、すでに在ったとしか考えられないが、岩の存在のために部屋を設えるなんてことがあるだろうか。
 同時にあった、共存である。部屋は精神、岩は信仰〈神〉であり生きる術(糧)であれば、精神は信仰で満ち足りていた、あるいは洗脳されていた。ということかもしれない。

 信仰ありき、そして自身が形成されていく。
 自身と信仰のあり方を問うものかもしれない。絶対的な教えから逸脱することは許されないが、守られてもいる。この関係からの解放は困難かもしれない。この岩(『主なる神はとこしえの岩だからである』イザヤ書)を屋外(精神の外)に出せば自身も崩壊してしまうのではないかという畏れは、潜在的に硬く自身の中に結びついているのかもしれない。

 この岩、ある意味不可解なものは自身を圧している、否、自身が内包しているのである。抱えた問題の深さは他者からは推しはかる術もないが、彼は確かに重く、大きなものに本来の自由を拘束されていると感じ、そのものと対峙している。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3598。

2021-02-24 06:21:30 | カフカ覚書

フリーだがそのほかの点で同であるにせよ、また、自分の地位をどれほど高く買いかぶっているにせよ、仕事の点では経験を積んでいて、冷静で沈着だった。これは、きも自身もほめそやしていることだ。もちろん、きみはこの教訓を役だたせることはしなかったがね。


☆もしそうでないとしても、どうしてこの場所を評価し、多くの旅人(死人)を冷静に支配し、きみ自身も同意している。もちろん冷静にそれを阻止することはなかったけれど。