続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)冬川の。

2021-02-19 07:20:16 | 飯島晴子

   冬川の人声鍛冶の火をひらく

 冬川の冷たい水に似た人の声がわたしの闘志に火をつける。

 冬川はトウ・センと読んで、投、銭。
 人声はジン・ショウと読んで、沈、省。
 鍛冶はカ・ジと読んで、加、次。
 火をひらく(火開)はカ・カイと読んで、貨、下位。
☆投げた銭(お金)は沈む。
 省(注意して見ると)加(さらに上にくわえた)次の貨(お金)の下位になっている。

 冬川はトウ・センと読んで、頭、選。
 人声はジン・ショウと読んで、腎、昇。
 鍛冶はカ・チと読んで、加、質。
 火をひらく(火開)はカ・カイと読んで、化、甲斐。
☆頭(トップ)を選ぶことは腎(重要)である。
 昇(うえに上がること)に加え、質(内容)には化(教え導くことの)甲斐がある。

 冬川はトウ・センと読んで、党、選。
 人声はニン・ショウはと読んで、忍、照。
 鍛冶はカ・ジと読んで、化、字。
 火をひらく(火開)はカ・カイと読んで、果、皆。
☆党(仲間)の選に忍(耐えている)。
 照(見比べると)、字の化(形、性質を変えて別のものになる)があり、果(結末)が皆(すべて)である。


R.M『現実の感覚』②

2021-02-19 06:30:37 | 美術ノート

 過去でも未来でもなく、現実の感覚だといっている。遥かなる山川、雲、天頂には二十六日の月が南中している。

 二十六日の月と巨岩石。
 二十六日の月は夜中の一時か三時ころに出て朝方、白く輝いているのを見る。要するにこれは朝方の景色である。
 おおぞらの上の水(雲)と、おおぞらの下の水(川(海)があり、二つの大きな光を造った。即ち、太陽と月である。地(大地)には…獣、人、草木らしきものが見える。
 現実ではあるが、『天地創造』を彷彿とさせる。主なる神はとこしえの岩であるという。

 現実の光景であるが、巨岩石の浮上は在り得ない。
 世界は神の創造だという教えがある。しかし、物理的根拠を持つ真実と人の叡智がもたらした伝説との狭間に《現実》があり、信仰は手の届かない遥か上で鎮座している。本当にそんなものがあるのだろうかという懐疑は、その大きさと恐れのために否定できない。

 積み重ねられたデータの検証、わたし達は虚偽の狭間を生きている。偽こそ真実であるかもしれない。


 写真は『マグリット』展・図録より
 


『城』3596。

2021-02-19 06:17:06 | カフカ覚書

こんなのは、ほかの地位と似たり寄ったりの地位なのさ。ところが、きみは、これをまるで天国のように思いこみ、その結果、どんなことにも大袈裟な熱意をもってとり組み、きみの考えによると天使もかくやと思われるほどめかしたて(実際は、天使などとんでもないことだがね)、


☆これは先祖の異なった場所である。ところがきみは天国だとして度を超すほどの熱心さで理解し、きみの意見では天使を装って活動している。そんな場所など恐れ多いけどね。