続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)老人の。

2021-02-18 07:38:00 | 飯島晴子

   老人の顔乾きけり三十三才

 老人はロウ・ジンと読んで、浪、塵。
 顔乾きはガン・カンと読んで、含、陥。
 三十三才はサン・ジュウ・サン・サイと読んで、惨、住、懴、災。
☆浪(むだ)な塵(汚れ)を含む陥(欠点)がある。惨(痛ましい)住まいを懴(悔いる)災(わざわい)である。

 老人はロウ・ジンと読んで、労、腎。
 顔乾きはゲン・カンと読んで、現、勘。
 三十三才はサン・ジュウ・サン・サイと読んで、三、重、鑽、再。
☆労(力を尽くして働くこと)が腎(かなめ)であり、現(隠れていたものが見える)勘(考え)がある。
 三つが重なる鑽(錐で穴をあけるように深く探求すること)、再び。

 老人はロウ・ニンと読んで、漏、認。
 顔乾きはガン・カンと読んで、眼、肝。
 三十三才はサン・ジュウ・サン・サイと読んで、算、自由、散、採。
☆漏(もれること)を、認(見分ける)眼(物事を見極める)が肝(重要)である。
 算(見当をつけ)、自由に散(バラバラにして)採(選び取る)。


『飯島晴子』(私的解釈)冬山。

2021-02-18 07:00:21 | 飯島晴子

   冬山瀬白し異腹の兄弟

 冬山はトウ・サンと読んで、答、三。
 瀬白しはセ・ハクと読んで、瀬、博。
 異腹はイ・フクと読んで、意、伏。
 兄弟はキョウ・ダイと読んで、胸、代。

☆応えが三つあるが瀬(場合)、博(大きく広がっている)意(考え)を伏(隠す)。
 胸(心の中)には代(他のものに変わるもの)がある。

 冬山はトウ・サンと読んで、問う、算。
 瀬白しはセ・ハクと読んで、施、吐く。
 異腹はイ・フクと読んで、異、複。
 兄弟はケイ・ダイと読んで、系、内。
☆問うことで算(見当をつけ)施(行う)と吐く。
 異(別)に複(重なる)系(つながり)の内(秘密)がある。

 冬山はトウ・サンと読んで、党、賛。
 瀬白しはセ・ハクと読んで、兄、薄。
 異腹はイ・フクと読んで、為、腹。
 兄弟はケイ・タイと読んで、軽、態。
☆党(仲間)を賛(称える)兄(同輩やすこし目上の人)は、薄(心がこもっていない)。
 為(行い)は、腹(心の中)が軽(軽々しい)態(ありさま)である。


R.M『現実の感覚』

2021-02-18 06:36:51 | 美術ノート

   『現実の感覚』

 長閑な田園風景の上に巨岩石が浮いている、この光景が『現実の感覚』だという。明らかに非現実であって、このような状態を見たことも聞いたこともないのが現実である。しかし、感覚であると、物理的根拠ではなく精神性に焦点を当てている。感覚、精神界における主張である。

 この巨岩石が宙に浮く光景、巨岩石は課題だろうか。精神への問いかけ、あるいは重責、あるいは忘れている危機感への警告。確かに人は心に闇を抱えている。
 闇に実体はない、故に恐怖心は軽んじられ侮られる傾向にある。闇は茫漠として形を留めず、収縮は状況の変移によって巨大化したり矮小化したりする。
 その集約に質的変換を企画すれば《宙に浮く巨岩石》という応えに辿りつくかもしれない。

『現実の感覚』は、見えないものに対する《問いであり、答えである》落下の可能性を孕んだ巨岩石、否、必然というべきかもしれない。
 当然、落下すべき重力圏内の現実に、重力を持たない精神界の恐怖(様々な事情)は、常に頭上にあるという確信めく静かなる警告である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3595。

2021-02-18 06:26:59 | カフカ覚書

ぼくは、法規上この酒場以外のところにいることは許されていないのだが、そんな男とつきあえるということは、それほど並はずれて大きな名誉だろうかね。きみは、どうやらそうおもっているらしいな。もしかしたら、それにはそれなりの理由があるのかもしれない。しかし、まさにそうだからこそ、きみは不適なんだ。


☆わたしにはこの酒場(死の入口付近)以外に留まる権利は全くない。いっしょに往来する可能性など、大きな名誉だろうか。ひょっとしたら、それなりの理由が有るかもしれない。しかし、それゆえにこそ不敵なのです。