続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)親の死を。

2021-03-04 14:45:45 | 飯島晴子

   親の死を忘るゝ細き蛇ばかり

 親の死はシン・シと読んで、針、刺。
 忘るゝ細きはボウ・サイと読んで、膨、哉。
 蛇はダと読んで、懦。
☆針で刺すと、膨(大きくふくらむ)哉(かな)。
 懦(気が弱い)。

 親の死はシン・シと読んで、身、脂。
 忘るゝ細きはボウ・サイと読んで、防、滓。
 蛇はジャと読んで、邪。
☆身(からだ)の脂(あぶら)は妨げになる。
 滓(カス・汚れ)は、邪(害を及ぼす)。

 親の死はシン・シと読んで、親、支。
 忘るゝ細きはボウ・サイと読んで、忙、済。
 蛇はダと読んで、惰。
☆親を支える忙しさ。
 済(救い)は、惰(怠けること)である。


『飯島晴子』(私的解釈)夏山に。

2021-03-04 14:26:41 | 飯島晴子

   夏山に親のとほりの黒い傘

 母が差していた日傘、娘の私もやっぱり黒いものを愛用している。(ちなみに黒い傘のほうが顔が白く映える)

 夏山はカ・サンと読んで、禍、惨。
 親のとほり(親通)はシン・ツウと読んで、辛、痛。
 黒い傘はコク・サンと読んで、酷、酸。
☆禍(災害)は惨(むごい)。
 辛く、痛(はげしく)、酷(容赦なく厳しく)酸(傷ましい)。

 夏山はカ・センと読んで、可、選。
 親のとほり(親通)はシン・ツウと読んで、審、通。
 黒い傘はコク・センと読んで、扱く、選。
☆可(よいと認めるもの)を選ぶ。
 審(正しいかどうか明らかにして)通す。
 扱く(しごき落として)選ぶ。

 夏山はカ・サンと読んで、果、三。
 親のとほり(親通)はシン・ツウと読んで、新、two(二つ)
 黒い傘はコク・サンと読んで、克、産。
☆果(結末)は三つある。
 新しい二つは克(力を尽くして)産(作り出す)。


シクラメン。

2021-03-04 14:16:48 | 日常

 暮れに買ったシクラメン咲き続けて三か月余り、ホントによく咲く。
 500円くらいの安い物、しかも、上げるのは水だけ。シクラメンに適しているのか、毎年どれを選んでも失敗がない。

 花の健気さに慰められている。


『飯島晴子』(私的解釈)逃げる子供。

2021-03-04 07:22:38 | 飯島晴子

   逃げる子供山のつめたい菫摘み

 逃げる子供はトウ・シ・キョウと読んで、党、詩、胸。
 山のつめたい(山冷)はサン・レイと読んで、散、礼。
 菫摘みはキン・テキと読んで、謹、擢。
☆党(仲間)の詩(詩句)の胸(心の中)は散(バラバラ)である。
 礼(敬意を払って)謹(慎んで)擢(多くの中から抜き出す)。

 逃げる子供はトウ・シ・キョウと読んで、套、詞、況。
 山のつめたい(山冷)はサン・レイと読んで、三、励。
 菫摘みはキン・テキと読んで、僅、適。
☆套(覆う)詞(言葉)の況(ありさま)は三つある。
 励(力を尽くして務めると)僅(ようやく)適(当てはまる)。

 逃げる子供はトウ・シ・キョウと読んで、盗、詩、恐。
 山のつめたい(山冷)はサン・レイと読んで、惨、零。
 菫摘みはキン・テキと読んで、緊、敵。
☆盗んだ詩を恐れるのは惨(痛ましい)。
 零(欠けた)緊(緊張感)は敵である。


『飯島晴子』(私的解釈)いちはつの。

2021-03-04 06:58:00 | 飯島晴子

   いちはつの紙かさなるをいみにけり

 一か八か、師(先生)を重ねる(複数)ことを嫌う。

 いちはつ(一初)はイツ・ショと読んで、逸、庶。
 紙かさなる(紙重)はシ・チョウと読んで、詩、帳。
 忌みにけりはキと読んで、記。
☆逸(優れた)庶(もろもろの)詩を帳(ノート)に記す。

 いちはつ(一初)はイツ・ショと読んで、逸、署。
 紙かさなる(紙重)はシ・チョウと読んで、視、超。
 忌みにけりはキと読んで、規。
☆逸(気楽な)署(役所))。
 視(気を付けてみると)、超(限度を超えるほどの)規(きまり)がある。

 いちはつ(一初)はイツ及んで・ショと読んで、何時、書。
 紙かさなる(紙重)はシ・チョウと読んで、詞、調。
 忌みにけりはキと読んで、起。
☆何時、書くのか。詞(言葉)を調べてから起(始める)。

※いちはつは、菖蒲。
 紙(シと読んで、試み)
☆菖蒲の試(品種改良)を重ねることを嫌う。原種の素朴さも味わいがある。(菖蒲園に行くと、驚くほどの多品種。主に江戸時代など)


R.M『真理の探究』

2021-03-04 06:15:32 | 美術ノート

   『真理の探究』

 魚の立像、絶対にありえないことである。
 しかも魚の質感を感じられず、金属のような硬質なものに変換されており、捌いても血が出る気がしない風情である。さらに水平線を人間の眼差しに考えると、巨大である。
 外の明るさに比して屋内の暗さ、日が差し込まないのも奇妙さを加えている。

『真理の探究』、現実、実在の光景をことごとく否定。一見、肯定されがちな光景における絶対に否定すべき条件の時空が、あたかも現実であるかのような空気を醸し出している、不条理。
 未来永劫、現実には起こりえない暴挙である。経験上の観念のデータ、その蓄積の崩壊の前で鑑賞者は息ができない。

 この目で見た、あるいは書物などから教えられた《ありのままの世界観》は絶対的な真実であると信じており、それ以外は無いとも。
 絶対的な真実を否定する真実などというものがあるのだろうか。

 疑惑を徹底的に払拭する、そこから垣間見えてくるもの、それが《真理》と呼ばれるものなのだろうか。存在の全否定、あるがままの世界を悉くほかの分子配列に変換する・・・当然、人間は生活できない。人間の生きられない世界に《真理》は存在するだろうか。

 真理そのものが人間優位を前提としているから、世界は絶対に不変であって変異の現象は否定されるべきものである。
『真理の探究』は否定の先に見える肯定、究極、現今の不条理そのもの、混沌に行き当たるのではないか、という提示である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3604。

2021-03-04 06:03:17 | カフカ覚書

きみはとても信じられないとおもうかもしれないし、また、世間や役人たちについて、さらには女性の美しさがもつ高貴さや影響力につてきみが考えていることと一致しにくいことかもしれないが、これは本当だよ。ぼくたちが今ここに肩をならべて腰をかけ、きみの手をぼくの手のなかににぎっているのとおなじように、ならんで腰をかけていたのだよ。


☆でたらめだと思っているかもしれない。世界の解放や崇高さの持つ表象について、あなたの考えていることは本当です。わたし達がここに一所に座り、みんなで考えていることは、多分、みんな同意できることです。