『真理の探究』
魚の立像、絶対にありえないことである。
しかも魚の質感を感じられず、金属のような硬質なものに変換されており、捌いても血が出る気がしない風情である。さらに水平線を人間の眼差しに考えると、巨大である。
外の明るさに比して屋内の暗さ、日が差し込まないのも奇妙さを加えている。
『真理の探究』、現実、実在の光景をことごとく否定。一見、肯定されがちな光景における絶対に否定すべき条件の時空が、あたかも現実であるかのような空気を醸し出している、不条理。
未来永劫、現実には起こりえない暴挙である。経験上の観念のデータ、その蓄積の崩壊の前で鑑賞者は息ができない。
この目で見た、あるいは書物などから教えられた《ありのままの世界観》は絶対的な真実であると信じており、それ以外は無いとも。
絶対的な真実を否定する真実などというものがあるのだろうか。
疑惑を徹底的に払拭する、そこから垣間見えてくるもの、それが《真理》と呼ばれるものなのだろうか。存在の全否定、あるがままの世界を悉くほかの分子配列に変換する・・・当然、人間は生活できない。人間の生きられない世界に《真理》は存在するだろうか。
真理そのものが人間優位を前提としているから、世界は絶対に不変であって変異の現象は否定されるべきものである。
『真理の探究』は否定の先に見える肯定、究極、現今の不条理そのもの、混沌に行き当たるのではないか、という提示である。
写真は『マグリット』展・図録より