続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ラジオ体操の再開。

2021-03-26 15:59:50 | 日常

 正月明け(7日)に行ったきり、春の彼岸明け(3月24日)まで休止・・・。
 ラジオ体操以外まるで動かないわたしにとってラジオ体操に行く1000歩と5分程度の体操が唯一の運動(信じがたい怠慢)である。だからそれが無いと壊れかけの身体に拍車がかかるというもの・・・。

 広場を幾周もする人や衣笠山を闊歩するような強者と比べてら、貧相この上ないけれど、まぁとにかくラジオ体操の再開は嬉しい!

 馬堀の山(低山)を、子供をわきに抱え、上り下りする若いママを見かけた。驚いて「何か(運動を)なさっていたの」と聞くと「いえ、別に」という。不審そうにため息をついたら「陸上をしていました」と漏らした。
 やっぱりねぇ、運動をしていた人との体力の差は歴然、人生の大半を引きこもり状態で過ごすわたしとは大違い!

 今更悔やんでも始まらないけど、せめてラジオ体操だけは頑張りたい(笑止!)


『飯島晴子』(私的解釈)田の土の。

2021-03-26 15:31:55 | 飯島晴子

   田の土の微光をいとひ夕猟人

 田の土はタ・トと読んで、多、徒。
 微光はビ・コウと読んで、尾、行。
 いとひ(厭)はケンと読んで、嫌。
 夕猟人はユウ・リョウ・ニンと読んで、憂、両、人。
☆多くの徒(ものども)の尾行(人の後を気付かないようにつけていくこと)を嫌い、憂(心配する)両人(二人)である。

 田の土はデン・ドと読んで、伝、努。
 微光をいとひ(微光厭)はビ・コウ・エンと読んで、備、考、掩。
 夕猟人はユウ・リョウ・ニンと読んで、友、了、任。
☆伝えることに努(力を尽くす)。
 備(あらかじめ用意しておく)考えを掩(隠す)。
 友が了(判ること)は任(まかせる)。

 田の土はデン・トと読んで、殿、門。
 微光をいとひ(微光厭)はビ・コウ・エンと読んで、美、構、園。
 夕猟人はユウ・リョウ・ニンと読んで、遊、利用、任。
☆殿(大きく立派な建物)の門、美しい構えの園(人が集まり楽しむ庭)、遊(好きなことをして愉しむ)利用は任(委ねる)。


『飯島晴子』(私的解釈)逃亡の。

2021-03-26 07:17:38 | 飯島晴子

   逃亡の胴は野菊をひらめかし

 胴はドウと読んで、如何。
 野菊をひらめかし(野菊閃)はヤ・キク・センと読んで、也、鞠、戦。
☆逃亡の如何也。
 鞠(罪を問いただして)戦(おののく)。

 逃亡はトウ・ボウと読んで、套、謀。
 胴はドウと読んで、導。
 野菊をひらめかし(野菊閃)はヤ・キク・センと読んで、也。起句、詮。
☆套(覆った)謀(はかりごと)がある。
 導く也。
 起句(文の初めの文句)を詮(調べること)である。

 逃亡はトウ・ボウと読んで、悼、貌。
 胴はドウと読んで、慟。
 野菊をひらえかし(野菊閃)はヤ・キク・センと読んで、也、危懼、潜。
☆悼(死を悲しむ)貌(すがた)、慟(身もだえして悲しむ)也。
 危懼(あやぶみ怖れ)潜(心を落ち着かせる)。


『飯島晴子』(私的解釈)秋の蛇。

2021-03-26 06:57:00 | 飯島晴子

   秋の蛇なかほどの指漠然と

 なかほど(中程)はチュウ・テイと読んで、知友、邸。
 指はシと読んで、址。
☆秋の蛇(蛇が冬眠のため穴に入るころ)、知友の邸(屋敷)の址(建物の土台)のあたり漠然と(何となく、ぼんやりとしてつかみどころがない)、しかし。

 秋の蛇はシュウ・ジャと読んで、聚、邪。
 なかほどの指(中程指)はチュウ・テイ・シと読んで、抽、偵、詞。
 漠然はバク・ゼンと読んで、暴、全。
☆聚(あつめる)邪(や)。
 抽(抜き出し)偵(探り)、詞(言葉)を暴(明らかにする)、全て。

 秋の蛇はシュウ・ジャと読んで、修、邪。
 なかほどの指(中程指)はチュウ・テイ・シと読んで、註・訂。
 漠然はバク・ゼンと読んで、漠、繕。
☆修(整える)邪(や)。
 註(意味を書き記し)訂(ただす)。
 詞(言葉)の漠(大きくてつかみどころがないもの)を繕(つくろい、直す)。


R.M『上流社会』

2021-03-26 06:11:02 | 美術ノート

   『上流社会』

 上流社会とは何だろう。経済的に地位や経済生活程度の高い地位や経済生活程度の高い階層…。
 山高帽をかぶった男のシルエット、その中には砂浜につづく波静かな海、そして白雲の散在する薄ブルーの空。絵に描いた平穏無事である。
 背後に重なる同形のシルエットには木々の葉が全面を覆っている。

 紳士が所有する領域は海と空と大地であるかのようである。しかし、絵を見る限るどこまでもフラットであり、遠近を示すツールが皆無である。平面、薄っぺら、奥行きのなさが空間を押しつぶしている。二次元であって三次元の自然が見えない、つまり、不自然なのである。

 まるで平らな海、穏やかな白雲の広がり、さざ波は軽口のようなさざめきである。背後(影)のシルエットも木々の葉は総て同じような色・形・大きさである。これは《平等》の示唆に他ならない。

「すべての人が同じように上流社会の豊かな階層になるべきである」という主張であることに気づく。叶わぬ願いかもしれない、しかし、あくまでマグリットは願っている、《貧富の差のない、全て上流社会の人であるべき世界を》。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3620。

2021-03-26 05:55:20 | カフカ覚書

ねぇ、わたしたちは、三人で暮らしていて、退屈したことなどありませんのよ。人生は苦いものですから、自分の手で甘くしなくてはなりません。わたしたちの人生は、小さいころからすでに苦いものになっていました。今は、三人いっしょで、あの部屋でできるかぎり愉快に暮らしています。とくにヘンリエッテは、あなたのお気に召すに違いありません。エミーリエも、そうでしょう。


☆わたしたち三人でいて退屈することはありません。人生の辛いことや不愉快なことなどを、楽しいものにしなくてはなりません、。わたしたちの人生は若いころからひどく辛いものでした。今はそこで、三人いっしょに小ぎれいに暮らしています。とくにヘンリエッテは木に入るでしょう、エミーリエもまた同じです。わたしたちはすでにあなたのことを話しているのです。