続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)露の山。

2021-03-24 07:08:36 | 飯島晴子

   露の山くるしい髯は木にかけむ

 露の山はロ・サンと読んで、魯山人。
 くるしい(苦)はクと読んで、句。
 髯は木にかけむ(髯木掛)はゼン・ボク・カと読んで、全、朴、嘉。
☆魯山人の句(言葉)の善(正しいこと)は、朴(ありのまま)が嘉(優れている)ということである。名言「天然の味に優る美味はなし」がある。

 露の山はロ・センと読んで、露、戦。
 くるしい(苦)はクと読んで、懼。
 髯は木にかけむ(髯木掛)はゼン・モク・カと読んで、前、黙、荷。
☆露(ロシア)との戦いを懼(畏れる)。前(過去のこと)を黙って荷(身に引き受けている)。
 1945年のソ連との不可侵条約の破棄、北方領土返還交渉は未だ・・・。

 露の山はロ・サンと読んで、露、惨。
 くるしい(苦)はクと読んで、苦。
 髯は木にかけむ(髯木掛)はゼン・ボク・カと読んで、全、僕、過。
☆露(さらけ出された)惨めな苦しみは、全て僕(わたくし)の過(あやまち)である。

 露の山はロ・サンと読んで、露、三。
 くるしい(苦)はクと読んで、句。
 髯は木にかけむ(髯木掛)はゼン・モク・カと読んで、繕、目、和。
☆露(現れる)三つの句(ひとまとまりの言葉)を繕い、目(ねらい)を和(調合する)。 


R.M『観念』

2021-03-24 06:36:47 | 美術ノート

   『観念』

 スーツにシャツにネクタイ、ただ、それだけで社会人の男性を想起する。見ると首(身体)はなく、頭部の位置にリンゴが一つ浮いており、背景はオレンジ色のベタである。

 この不思議で衝撃的な絵も見慣れてくると、《あっ、マグリットね》くらいの感想になり、マグリット=『観念』の作品になり、作家の意図にかかわりなく象徴として鑑賞者の脳に刻まれていく。

 要するに経験上つみ重ねた情報処理機能の働きである。
《スーツの中には男性の身体があり、その上には男性の頭部(顔)がある》という固定された意識が働くのである。当然、当たり前、それ以外の答えがないという精神的な思い、表象、概念である。

 絶対、決定的な事項・・・それらの習得は時間とともに領域や数量を増殖していく。それらは時代の変遷により、事情が変化していく可能性を秘めているが、基本である人体は決定事項である。

 ゆえに着衣の上着の上には顔(頭部)があり、それがリンゴにすり替わっても、リンゴが顔なのである。この絵を見てリンゴをリンゴそのものとして「美味しそう!」と声を上げる者は滅多にいない。『観念』とはそれほどに事物と固く結びついた約束事項なのである。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3618。

2021-03-24 06:23:23 | カフカ覚書

ね、来てくださるでしょうね」
「そんなことをしても大丈夫なのかね。だって、きのうは、あそこの廊下にいたところをつかまえられて、大きなスキャンダルが起こったばかりなんだぜ」


☆ね、来てくださるでしょう?どういしてくださるでしょう」
 だから、あなたたちを襲って捕まえる幽霊なんて大きな誤解(醜聞)にすぎません。