続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)下駄で来る。

2021-03-05 07:15:50 | 飯島晴子

   下駄で来る蛇穴多きみなみより

 下駄で来るはカ・ダ・ライと読んで、呵、駄、磊。
 蛇穴はダ・ケツと読んで、妥、結。
 多きみなみより(多南)はタ・ナンと読んで、多、納。
☆呵(咎めること)は駄(つまらないこと)である。
 磊(小さなことにこだわらず)妥(穏やかに)結(物事を締めくくること)で、多くは納まる。

 下駄で来るはカ・ダ・ライと読んで、彼、拿、瀬。
 蛇穴はダ・ケツと読んで、懦、訣。
 多きみなみより(多南)はタ・ナと読んで、他、奈。
☆彼を拿(摑まえる)瀬(場合)、懦(気が弱いと)訣(別れる)より他に奈(いかんせん/どうしようもない)。

 下駄で来るはカ・ダ・ライと読んで、荷、堕、来。
 蛇穴はダ・ケツと読んで、惰、結。
 多きみなみより(多南)はタ・ナンと読んで、太、難。
☆荷が堕(崩れ落ちて)来るのは、惰(怠った)結びの太さに難がある。


R.M『同族意識』

2021-03-05 06:45:26 | 美術ノート

   『同族意識』

 男女らしき二人を俯瞰、傍ら(背後)に大きな球体がある。空を薄赤く染めた地平線ははるか向こうに見えるが、朝夕の判別は定かでない。
 この絵を最も異様にしているのは魚が天を向き直立していることである。直立歩行は人間のみの形態であり、ほかの動物生物にはない傾向であれば、明らかな虚偽を指摘せねばならない。

『同族意識』、意識であれば物理的根拠は不要かもしれないが、一寸の虫にも五分の魂・・・ということでもない。
 DNAを辿れば、ということだろうか。

 大きな球体は《絶対の真理》に思える。核の中には入れないが、常に周囲で問題の解答を審議しているのが人間であるとも考えられる。しかし、魚の立像(不条理)がずっと手前に座しているのは、驚異である。手も足も出ず、攻撃すらできない魚が人間界をはるか俯瞰する位置にいる、いわば《神》の位置でさえある。

『同族意識』、意識(精神)の領域である。ならば、神も魚も人間も同列、ひとしい仲間であるという一種の信仰(観念)の破壊につながるのではないか。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3605。

2021-03-05 06:35:32 | カフカ覚書

そしてクラムは、自分からすすんで下へ降りてきた。それどころかいそいで降りてきた。ほかの仕事をほったらかして、廊下で待ち伏せしている者なんかいなかった。クラムは、自分からフリーダのところへ降りてこなくてはならなかった。そして、きみがぞっとしたと言うフリーダの服装の欠点なんか、意にもかいしなかった。


☆クラムもフリーダも理解されるべき世界的な事件として同意し、進んで下へ降りてきた。この一帯で待つ人は誰もおらず、フリーダの間違いなど小さなことであり、あなたを驚かせ、妨げになるようなことは、全くなかったのです。