続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

飯島晴子は凄い!!

2021-03-09 07:27:30 | 日常

 飯島晴子に憑りつかれている。俳句は凡人以下のわたしが、飯島春子の句を詠んで衝撃を受け、雑文を記している。
「先生、飯島晴子先生、これでよろしかったでしょうか」お伺いを立てている毎日である。
 感動の嵐、わたしならこう考える、という気持ちがそのまま文字になる。違った解釈もあるだろうと思う、あくまで私見である。

 飯島晴子先生のおかげで、というか、飯島晴子先生のせいで大好きな縫物の時間が取れず、購入の布地がわたしの脇で積まれていく。去年の春に講習を受けたつまみ細工の材料もそのまま・・・(どうしてくれるの?)と文句の一つの言いたいところ。

 でも、言いたい放題で楽しんでいる。


『飯島晴子』(私的解釈)死ぬひとの。

2021-03-09 06:58:14 | 飯島晴子

   死ぬひとの袂を蒐め夏山姥

※死ぬ人を見て、袂を絞る(悲しく涙を流す)かの鬼(亡霊)の山姥である。

 死ぬひと(死人)はシ・ニンと読んで、子、任。
 袂を蒐めはベイ・シュウと読んで、米、愁。
 夏山姥はカ・セン・ボと読んで、嫁、選、暮。
☆子に任せた。
 米を愁う(心配する)ような、嫁(結婚する娘)が選んだ暮らしである。

 死ぬひと(死人)はシ・ニンと読んで、師、忍。
 袂を蒐めはベイ・シュウと読んで、米、祝。
 夏山姥はカ・サン・ボと読んで、嘉、餐、慕。
☆師を忍ぶ。
 米(米寿/八十八歳)のお祝い。
 嘉(めでたい)餐(食事会)を慕(懐かしく思う)。

 死ぬひと(死人)はシ・ジンと読んで、視、沈。
 袂を蒐めはベイ・シュウと読んで、皿、収。
 夏山姥はカ・サン・ボと読んで、禍、惨、模。
☆視(気を付けて見ると)沈んだ皿を収(取り集めている)。
 禍(災害)の惨(むごい)模(ありさま)である。


R.M『再開』②

2021-03-09 06:38:45 | 美術ノート

 再開、再び開く世界・・・開く、誕生(死)の連鎖。
 巣の中の卵の暗示は、言うまでもなく再生を意味し、高台付きの植木鉢が重ねたイメージの展開はある意味理想郷である。一本の独立した樹、遮るもののない穏やかな明媚、悠然と時空を所有している。
 植木鉢の中では人間が力を尽くした配慮が実を結ぶ時空を展開させている。あくまで人間の叡智の明らかに原始的である晶たる成果としての時空である。高台付き植木鉢の高台は人間が捧げ持つという優位を感じるのに対し、鳥の卵のほうは明らかに原始的である。

 変わりゆくものと、変わらないものとの対比でもある。
 不変と普遍。鳥の卵の永続、連鎖の生命。人間の手の加わった世界、しかし決して変わることのない樹の本質が大地を制している。沈黙の存在の神秘、それが生きるものの主張であり幾重にも重ねられていく世界への『再開』である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3507。

2021-03-09 06:22:57 | カフカ覚書

しかし、こういうことを言っては、きみに失礼にあたるかもしれない。きみ自身、フリーダの長所を十分にみとめ、彼女の観察力、決断力、人人に対する影響力に気づいているのだからね。ただ、きみは、すべてのことを間違って解釈し、フリーダがこれからの才能を利己的に自分一個の利益と悪事のために使っている、それどころか、きみにたいする武器として使っていると思いこんでいる。


☆しかし、きみは間違っているよ。きみ自身がフリーダの利点を認め、彼女の観察力と決断が、人に与える影響があると。ただ、もちろん間違っているけれどね。すべて利己的で優越と悪意ある方向転換で十分にきみ自身への武器として使っていると信じている。


元気、出ちゃう!

2021-03-09 06:07:35 | 日常

 今朝起きぬけにラインを見たら、春一朗ちゃんの作文が…小学二年生ながら原稿用紙三枚にわたって侃々諤々。弟が二人いますのくだりにはびっくり、兄弟の間違い(笑)、それにしても思いが先走る文章、いいね!弟(保育園年長)の運動神経をほめている。
 弟の恵一朗ちゃんが今春入学すると、三兄弟が小学生、同じ学校に通学。あっという間の月日の流れ・・・。
 健太のところの律樹ちゃんも、ママが保育士さんだったせいか、健やかすぎるエピソード動画を送ってくれる。
 みんな良い子で、おばあちゃんは元気が出ちゃいます。ありがとう!