続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)夏繭の。

2021-03-10 07:19:19 | 飯島晴子

   夏繭のかたむくやうに姥屋形

 繭は軽い、その取り集めた繭の重さで傾くような廃屋の景色。繭の中の蛹は干されたり茹でられたりで死ぬ定めである。この悲しさ、哀歌である。

 夏繭はカ・ケンと読んで、果、兼。
 かたむくやうに(傾様)はケイ・ヨウと読んで、系、要。
 姥屋形はボ・オク・ケイと読んで、簿、憶、詣。
☆果(結末)を兼ねる系(つながり)の要は、簿(ノート)に憶(思いを巡らせ)詣(行きつく)。

 夏繭はカ・ケンと読んで、過、検。
 かたむくやうに(傾様)はケイ・ヨウと読んで、刑、庸。
 姥屋形はモ・オク・ギョウと読んで、模、臆、業。
☆過(過ち)を検(取り調べる)刑(罪をただし罰する)庸(つね)は、臆(心の奥)の業(身、口、意による善悪すべての行為、またそれが将来に及ぼす影響)である。

 夏繭はカ・ケンと読んで、花、献。
 かたむくやうに(傾様)はケイ・ヨウはと読んで、敬、様。
 姥屋形はボ・オク・ギョウと読んで、慕、憶、仰。
☆花を献(捧げ)敬う様(ようす)は、慕(恋しく思い)憶(心にとめ)仰ぐからである。


R.M『影』

2021-03-10 06:38:35 | 美術ノート

   『影』

 影とは、何だろう。
 輪郭の輪郭の中が黒く塗りつぶされた樹のシルエット、そして背後には巨大なパイプ。、これらは観念的には地表にあるとしか思えないが、水上である可能性も否定できない。なぜなら、水色の土などあるだろうか。背景は茜空に見えるが、それであれば、影の方向性に疑問が残る。

 背後のパイプのおかげで樹は小さく見え、手前の樹のおかげでパイプは巨大に見える。この二つの関係性は二つを同時に見ることをある意味、拒否している。この絵には見ることの理解を崩壊させている。

 時空の破壊、空間そのものを平然とぶち壊している。凶器は不使用であり作画の戦略である。恐るべき『影』の存在感。
 パイプにも樹にも光が当たっていない、にもかかわらず、見えている、そしてこの物の下には、上からさしているような影がわずかに見える。影が直線なのははるか下のほうからの眺めであるのに、樹やパイプは真正面からの展望である。コラージュと言ってしまえば解決がつくが、そうではない秘密がこの絵には感じられる。

 影には実体がないが、実体がなければ影はできない。まずは光ありき、の影であるが、その光の根拠(実態)が不明であるという不思議はまるで奇術の領域である。物理的根拠をすべて外すことで『影』という現象の正体を見極めようとする眼差しがここにある。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3608。

2021-03-10 06:17:54 | カフカ覚書

そうじゃないんだ、ペーピ。たとえフリーだがきみをやっつけるような毒矢をもっているとしても、こういう近距離では矢を射ることもできないだろう。利己的だと言うのかね。むしろ、フリーダは自分が持っていたものばかりか、将来手に入れる見込みのあるものまで犠牲にして、ぼくたちふたりにもっと高い地位で自分の真価を発揮するチャンスをあらえてくれた、と言えるのではないだろうか。ところが、ぼくたちは、彼女を失望させてしまって、彼女がふたたびここへ帰ってこざるをえないようにしているんだ。


☆利己心だって?彼女の献身(犠牲)に期待する必要があったとしても、二人には事情があったんだ。わたしたち二人により高い立場を証明し、彼女はまさしく、再びこちらへ戻ってこさせるよう強いたのである。