「お兄ちゃん(A君)、死んでしまったよ」と久しぶりに帰ってきた息子に言うと、
「えっ、知らない、そんな人いたっけ」という。
一家が転居してきたころA君は20代だったが無職のようで姉の子供を見たり、食材の買い物に出る母親の手伝いをしていた。何年かしてセールスの仕事に就いたけど、引きこもっていたせいもあり、数日すると松葉づえになり、恥ずかしそうに笑っていた。
十五年ほど前、彼の父親の入院先をお見舞いのため、彼の車に同乗したことがあった。走行中、左を指して、「この先に、ミシンを買ってくれたおばあちゃんの家があるんです」と言った。「たった一軒、うれしかったなぁ・・・」とぽつり。
ミシンのセールスをしている現場を街で見かけたことがある。
「売れないとね、一銭ももらえないんです」「・・・」
その後宅配業務や警備に就いたりしていたけれど、身体の方は不調を漏らしていた。
「警備て言ったって、とんでもない方へ行くんです。昨日は埼玉県でした。交通費は二万円までの支給で大抵、足が出ます。しかも二時間とか半日なんです」
母親が亡くなって独り暮らしになると、
「交通費がかかりませんから」と近所のスーパーへ。
「ぼく、頻繁に(辞めろ)って警告を受けているんです」とこぼした。
同じスーパーでバイトをしている主婦は「あんな間抜けな人初めて見たわ」という。「だってね、あの人が並べた商品をわたしが並べなおしているのよ」と言った。
そこも辞めて、辞めざるを得なくなり再び引きこもり生活。
「食べているの?」と聞くと「家の中では食べません」という。
母親が病身の時に生活保護を受けたので車もなく外出の様子は分からなかった。
「昨日は宝くじが当たったので一万円を受け取りに中央まで4キロほどを歩きました」と言った。
「それよりつい最近雨戸が何日も閉まっていたけど、どこかへ出かけていたの?」と聞くと、「どこへも出かけていません」と言う。
再び雨戸が幾日も閉まっているので、知人を通して通報。
A君の死からちょうど一年、享年57才、もう楽になったでしょうか。