続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)新世界。

2021-11-15 07:23:34 | 飯島晴子

   新世界兎の箱から上陸す

 新世界はシン・セイ・カイと読んで、辛、凄、潰。
 兎の箱はト・ソウと読んで、妬、総。
 上陸はショウ・ロクと読んで、小、鹿。
☆辛く凄(傷ましく)潰(乱れた)妬(ねたみ)の総ては、小さな鹿(争いの対象となる地位や権力のたとえ)による。

 新世界はシン・セイ・カイと読んで、新、政、開。
 兎の箱はト・ソウと読んで、途、創。
 上陸はジョウ・ロクと読んで、条、録。
☆新政が開(始まる)途(みちすじ)を創(作る)のは、条(物事の筋道)の録(書き記したもの)である。

 新世界はシン・セイ・カイと読んで、新、星、届。
 兎の箱はト・ソウと読んで、図、層。
 上陸はジョウ・ロクと読んで、状、録。
☆新星を届ける図は、層(幾重にも重なる)状(ありさま)の録(書き記したもの)である。

※新しい世界(世界観)の図(計画)は、層(幾重にも重ね)詳録(詳しく書き記すこと)にある。


ホッパー『線路沿いの家』

2021-11-15 06:49:01 | 美術ノート

   『線路沿いの家』

 視線は線路沿いの少し下にある。家は仰ぐような角度で描かれている。明々白々の建屋であるが敷地面積や庭の様子は不明である。しかし、この建築物に不審はなく日当たりのいい立地であり怪しい箇所は探せない。

『線路沿いの家』である。
 当然、汽車あるいは電車が通過する。その瞬間、この家は消失、見えなくなる。たしかに存在するが、確かに視界から消えてしまう。
 この絵には確かに行き来する《電車》が描いてないのに見えてくるのである。

 作家は存在の有無を考える。存在とは何か、と。存在は存在によって隠され、存在するが、非存在となる。
 見えたり見えなくなったりする真実。見えることの不確実性は精神に大きく影響するが、物理的観点からは現象としての事実だけが残存する。

『線路沿いの家』は視覚を問う根拠である。

 写真は『HOPPER』(岩波 世界の巨匠より)


『水仙月の四日』47。

2021-11-15 06:33:23 | 宮沢賢治

「さあ、しつかり、今日は夜の二時までやすみなしだよ。ここらは水仙月の四日なんだから、やすんぢやいけない。さあ、降らしておくれ。ひゆう、ひゆうひゆう、ひゆひゆう。
 雪婆んごはまた遠くの風の中で叫びました。

 まだ三時にもならないのに~夜の二時まで・・・ちょうど二十四時間である。水仙月の四日の特別、《ここらは》と念を入れている。つまり世界中という訳ではなく、この辺り、この四日の月が舟の形に見えるあたりと限定している。

 ひゆう、非有…存在を消す、生から死へと転移させるんだよ、と雪婆んご(死神)は叫んでいる。この四日月が舟の形に見える領域全土を行き来(遠くまで)していると思われる。