続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

時間は止まったまま。

2021-11-09 07:35:37 | 日常

 昨日と今日の区別がつかず、一週間の速さに驚き、一年は一瞬にして飛んでいくという感じである。どこも何も変わっていないのに確かに時は動き、時代は変化している。

 取り残されたわたし。身体の劣化、急速に古びて不自由かつ痛い毎日。
「そんなに長くない」と胸の中。
 あと少し。正真正銘のお婆さんとして、まだ生きるのだろうか。

 白露や 死んでいく日も 帯締めて(鷹女)

 ・・・難しい。
 今日はサークルがあり、出かける。雨、大雨の中を歩く老女、なんか切ないね。
「七宝焼」今更アクセサリーを作ってどこへいく?
 アクセサリーも進化している、七宝焼きなんて若い人には鼻もひっかけられない。
「娘に上げようとしたら、《要らない》って即答よ」と、メンバー。

 バザーに十円でもいいからと提供。
 徒労を承知で出かける、みんなと愚痴りながら、楽しくおしゃべり。こんな日が長く続くといいな!


『飯島晴子』(私的解釈)雪の麓に。

2021-11-09 07:15:17 | 飯島晴子

   雪の麓に面をかさね老いるとか

 雪の麓はセツ・レイと読んで、切、励。
 面をかさね(面重)はメン・ジュウと読んで、面、重。
 老いるはロウと読んで、労。
☆切(ひたすら)励む。
 面(向き合い)充(欠けた所を満たすため)に労(力を尽くして働く)。

 雪の麓はセツ・レイと読んで、窃、黎。
 面をかさね(面重)はメン・ジュウと読んで、免、事由。
 老いるはロウと読んで、漏。
☆窃(盗んだ)黎(多く)を免(許す)。
 事由(わけ)は漏(すでに秘密が世間に知られているから)。

 雪の麓はセツ・レイと読んで、説、零。
 面をかさね(面重)はメン・ジュウと読んで、綿、自由。
 老いるはロウと読んで、弄。
☆説(物語)の零(欠けているところ)を綿(長く続ける)。
 自由に弄(思いのままにする)。


M『軽業師の休憩』

2021-11-09 06:49:25 | 美術ノート

   『軽業師の休憩』

 軽業師、人の目を欺くほどに軟体である。空間の中で自在に自身の身体を移動、あるいは錯覚させる。軽く柔らかく時に記述は切断をすらものにする。

 観客の前での隙のない動き、並外れた緊張感。自身を客観視する軽業師の仕事は《動》である。
 しばしの休憩があるとしたら、《不動》に他ならない。一瞬の錯視の至極の困難からの解放・・・石のように永遠に動かず静かに眠りたいという願いを抱くのではないか、そうに違いないとマグリットはつぶやく。

 身体がバラバラになどなるもんかという薄笑い、軽業師は石壁の中に身体を溶かしゆっくり身体をうずめる。

 写真は『マグリット』展・図録


『水仙月の四日』43。

2021-11-09 06:31:43 | 宮沢賢治

「えゝ、さうです。さあ、死んでしまへ。」雪童子はわざとひどくぶつかりながらまたそつと云ひました。
「倒れてゐるんだよ。動いちやいけない。動いちやいけないつたら。」
 狼どもが気ちがひのやうにかけめぐり、黒い足は雪雲の間からちらちらしました。

「えゝ、さうです。さあ死んでしまへ。」雪童子はわざとひどくぶつかりながらまたそつと言いました。
《わざと》ひどくぶつかっている。心にもなく、裏腹に。
「倒れているんだよ。」起きあがってはいけない!(鬼に生まれてはいけない、死んではいけない)と言っている。
 大神たちは夢中になって辺り(子供→死境、生死の境)をかけめぐり、黒い足(悪しを扱く)は死の運(めぐり合わせ、運命)からちらちらしました。→悪を取り払う、け散らしている。
 雪童子(死の導師)は雪婆んごの命に従う風でありながら、実は生へと救済しているのではないか。