続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)掌に伏せる。

2021-11-10 07:04:24 | 飯島晴子

   掌に伏せる桃のくれなゐ友怖し

 掌に伏せるはショウ・フクと読んで、掌、覆。
 桃のくれなゐ(桃紅)はトウ・コウと読んで、党、交。
 友怖しはユウ・フと読んで、友、怖。
☆掌(手のひら)を覆(ひっくりかえす)党(仲間)との交友は怖い。

 掌に伏せるはショウ・フクと読んで、傷、伏。
 桃のくれなゐ(桃紅)はトウ・コウと読んで、闘、攻。
 友怖しはユウ・フと読んで、雄、夫。
☆傷を伏(隠して)闘い、抗(はりあう)雄(いさましい)夫(男子)。

 掌に伏せるはショウ・フクと読んで、粧、服。
 桃のくれなゐ(桃紅)はトウ・コウと読んで、統、好。
 友怖しはユウ・フと読んで、友、風。
☆粧(よそおう)服を統(一つにまとめること)を好む友の風(傾向)。

 掌に伏せるはショウ・フクと読んで、承、服。
 桃のくれなゐ(桃紅)はトウ・コウと読んで、蕩、交。
 友怖しはユウ・フと読んで、有、夫。
☆承服(承知して従う)蕩(だらしない)交(お付き合い)。
 有夫(夫のいる身)である。

 


M『狂気について瞑想する人物』

2021-11-10 06:40:22 | 美術ノート

   『狂気について瞑想する人物』

 つまり、狂気とは何かである。
 正常でない状態…常軌を佚す。男は首を突き出して何かを凝視しているが、その眼差しの向かうところには何もなく、空無、虚空である。
 眼差しは可逆かもしれない。

 男は吸いかけの煙草を手にしている。すなわち時間の経過、あるいは止まった時間を示唆しているのかもしれない。男の着衣はごく普通の社会人の枠を外していない、つまり、正常な生活者の様相である。

 にもかかわらず、狂気について瞑想するとある。彼自身は狂気でないということであり、狂気を客観的に追求しようとする姿勢である。

『狂気とは何か』この判断を究めようとするのは、自身の中に狂気と判断せざるを得ない何者かに思い当たるからではないか。
 結果、彼が見出した答えは《見えないものを見る》、現実に姿形を見えるものとしない幻想、幻惑・・・自身の中の妄想かもしれず、自分自身を知る(見つめた先)茫洋とした世界に執着しつつ探求を続ける主観とそれを見る客観を一つにしたものである。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』44。

2021-11-10 06:22:35 | 宮沢賢治

「さうさう、それでいゝよ。さあ、降らしておくれ。なまけちや承知しないよ。ひゆうひゆうひゆう、ひゆうひゆう。」雪婆んごは、また向ふへ飛んで行きました。

「そうそう、それでいいよ、さあ、降らしておくれ。なまけちゃ承知しないよ。」雪婆んごは、雪童子(死の導師)や狼(大神)たちの様子(見かけ)を肯定している。
 非有、非有、存在にあらず、存在を消す、無に帰していく、すなわち《死)である。

 雪婆んご(死神)はまた向こう(あちこち、全域)へ飛んで行きました。
 雪婆んご(死神)と雪童子・狼(死の導師と大神)とは同じ方向を向いていない。片や《死》へと誘引し、片や《生》へと救済しようとする見えない攻防を感じる。