続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

みきママさん、見ましたよ。

2012-03-28 07:35:14 | 日常
 ブログ『藤原家の毎日家ごはん』を欠かさず見ている、みきママさんの元気をもらうために。

 しっかり者なのにそこはかとなくユーモアがあって、制約(週6000円程度)があるのに、自由な発想。

 TV似出演していることを知っているのに、どういうわけか見逃してばかり・・・でも、昨日は「最後ですよ」とあったので、どんなことがあっても見逃すまいと9時55分から『知りたがり』に・・・いつ出るのと待っていたら11時近くになってからようやく彼女の顔が・・・美人だし、歯がキレイ!動きもアイドル並みの可愛さ。

 もっと早く見れば良かったと思ったけど、この時間てNHKの『今日の料理』にかぶるし、それなりに午前中は忙しいと、自分で言い訳をして・・・でも良かったわ。みきママさんを拝見できて嬉しかった!
『7人家族の真ん中で』のファッジさんの声もラジオで聞いたし、『あたし・主婦の頭の中』のカータンもTVで見たし・・・ブログだけのファンだけど、納得しているミーハーなわたし。

ダイエット。

2012-03-28 07:02:06 | 日常
 カゴいっぱい詰め込んでレジに並ぼうとした時、思い出した肝心の目的物。カゴがあまり重いのでレジ近くに置いてそれを取りにいき再び並んだ。
 レジ係の人が一つずつレジを打っているまさにその時、大慌てでそれを制した人がいた。
「ちょっと待って下さい、これ、わたくしのカゴです!」と言う。
(何言っているの、これわたしのよ!)
 不審げにその女の人を見るわたし・・・(この綺麗な女の人、少しおかしいのかしら)
 確信を持ってレジ前に立ち、カゴを無意識に抑えた。(これ、わたしのに決まっている!)

 それを見た彼女、わたしに説得し始めた。
「だって、コンニャクを十個も買うなんておかしいでしょ」という。
 わたしもコンニャクを入れたけど・・・確かに十個までは・・・でも大根も入っているし…似ている買い物の内容。でもコンニャク十個は・・・。
 しぶしぶ説得に応じたわたし。なのに、あろうことか、

 
「じゃあ、わたしのカゴはどこにあるの?」と叫んでしまった。
(そんなの知らないよ、あなたが置いた所にあるでしょう)と彼女は思ったに違いない。

 その通り、わたしの置いた所に有りました。


 あの綺麗な女の人、大根とコンニャクでダイエットしていたんだ。
(ごめんなさい、驚かしちゃって・・・)

 お馬鹿なのは《わたし》でした。
 少しでも痩せようと、お店でコンニャクを買おうとするたびに思い出す出来事・・・今もなお恥ずかしい。

『風の又三郎』272。

2012-03-28 06:52:09 | 宮沢賢治
「おら知らないでとったんだい。」と怒ったやうに云ひました。
 みんなは怖さうに、誰か見てゐないかといふやうに向ふの家を見ました。たばこばたけからもうもうとあがる湯気の向ふで、その家はしいんとして誰も居たやうではありませんでした。

☆千(たくさん)の渡る運(めぐりあわせ)。
 普く遂げる兼(二つ以上のものをあわせる)。
 光に化(形、性質を変えて別のものになる)。 
 等(平等)しい鬼(亡霊、死者)の光。
 化(仏が衆生を導くこと)を遂げる拠(根拠)である。

『城』774。

2012-03-28 06:25:36 | カフカ覚書
もっとも、鷲と脚なしとかげなどと言いましたが、実情は、それよりももっとひどいものです。わたしはそれを忘れようと努力しなくてはならないほどです。でないと、あなたと落ち着いて話もしておれませんもの。ああ、あなたは、またぞろ腹をおたてですね。いいえ、まだ行かないでください。このお願いだけは聞いておいてくださいー

 鷲/Adler→Adel/気高さ。
 乳うりあう/verbinden→verwinden/打ち勝つ。
 脚なしとかげ/Blindschleiche→Blind /偽りの、schleichen/忍び歩く、潜行。
 もっと/viel→fiel(fallen)/死ぬ。
 horen→Forum/審議の場。

☆それを認めたとして、わたしの最も愛するフリーダ(平和、自由)が、気高さを捨て、偽りの潜行から打ち勝つために、真実の関係(調和)に気付くべきだったのかもしれません。
 なお、不快な死を、たえず忘れようと努力しなければならないほどです。 あなたを少しも強制的解放にしていません。
 さあ、まだこのお願いは審議の場ではありませんものね。

M『幕間』

2012-03-27 06:32:38 | 美術ノート
 マグリットの作品、『幕間』を見ていると、無常(この世のすべてのものは消滅、変化して、少しもとどまることがないこと)を感じる。

 手と足の奇妙な連結、微妙な差異を含めてバラバラである。しかし、なぜかその形態の組み合わせに既成概念ともいえる情感が想起される。
 片方づつ左右の脚を二本、人の形で林立させれば、それはあたかも人が背を向け立っている(即ち、向こう=現世を見ている)ようであり、腰に手をかけているのではなく膝に手をかけるという有り得ないポーズ、腕が絡めば寄り添っている風でもある。真直ぐ立った足に付随した腕の手先はカーテンを掴んでいるように見え、やはり、向こう(現世)を見ているようでもある。左端の壁の不定形な穴からは、人(手と足)が入ってきた風でもある。右端には硬い材質で作られた容器があり、それに倒れ掛かったような手足の奇妙な接続(通常の観念では足先の方向が違う)、それは、絶望や意気消沈をイメージさせる。


 人間の条件とは何だったか・・・五感を支配する脳(頭)はなく、五臓六腑の器官を有する胴体もない。
 機能している風に見える手足はバラバラの接続体であり、本来の意味を為していない。


 この人間としての条件を外した手足(物体)は、何を物語っているのだろう。手と足の記憶・・・人としての片鱗、感触。

 その背景にある山のような形をした、山を模した穴開き状の空洞・・・否、山の記憶(形状)を残した存在。これは明らかにもっと向こうに見える暗雲垂れ込めた嵐を想起させるような風景を遮っているというか、現世の形を失いつつある自然である。手足の舞台と水地球(現世)における混沌、混迷を隔てるものである。


『幕間』とは、現世という芝居が終り、次の舞台である来世(無)に移るまでのそのとき(崩壊しつつある形態、人が人としての条件を消失し無に帰していく)をイメージした作品である。切なくも人間の条件を失い入ってきた幕間のステージ・・・絶望の中にも向こう(現世)を懐かしんでいるであろう、否、そうであって欲しいと願うマグリットの空想(超現実)である。
 わたくし(マグリット)は、《この作品の中のずっと向こう・・・あの嵐のような暗雲垂れ込めた空の下にいて、これを描いている》という切ない距離感、測り知れない隔絶を描いている。

(そして描いている現実のわたしは幕間の手前にいて、死んでしまった母を待っている位置にいるという仮想、円環)

『城』773。

2012-03-27 06:02:07 | カフカ覚書
たとえば、わたしにたいしてももっと公正な態度をおとりになるでしょうし、またわたしのかわいいフリーダが脚なしとかげのような男と乳くり合うために鷲を見すてたと知ったとき、わたしがどんなにショックを受けたかを、いくらかでもおわかりくださるでしょう。(ええ、そのショックは、いまもつづいているのですよ。)

☆たとえば、わたし(天の番人)に対してももっと公正な態度をおとりになるでしょうし、また先祖の恐怖を分かり始めて下さるでしょう。その恐怖はいまもつづいているのですよ。

「楽しいスケッチ」さん、上手すぎ!

2012-03-26 06:50:11 | 日常
 ブログ「楽しいスケッチ」を毎朝拝見。毎朝驚かされている、あまりの達人ぶりに。

 定年退職後の作品とはとても思えない。(いったい何をしていた方なの?)
 開いた口が塞がらないほどの驚愕。
(世の中にはこんなに上手な人がいる!)

 それは眩暈を感じるほど・・・信じがたいほどの達筆。おいそれとは近づけないほどの領域。ただ圧倒されて見ている。

 頭をガーンと強打された感じ。

 下手な絵の手習いをしているわたしなどお笑い種(へこみすぎて・・・謙遜も何もない)。

 自分が描くことは何なのか・・・改めて考えさせられている。
 わたしは何に向かって描いているのだろう・・・。


 ショック、衝撃・・・「楽しいスケッチ」さんを見ていると、わたし自身が見えなくなってしまう。わたしの出口を探したい。

水仙月の四日。

2012-03-26 06:11:02 | 日常
 まさに水仙月の四日・・・夕刻、西空を見上げてそう思った。

 賢治の「水仙月の四日」という作品、わたしは、天の祭りだと解釈したけど、賛同者の報告はまだない。
 水仙が咲く頃(北上する数ヶ月/1月、2月、3月くらいか)の三日月(旧暦の朔日は真っ黒だから、四日が三日月になる)は、地上から垂直に計って真横・・・つまり空に浮かぶ舟の形になる。(裏の二十六日には明らかに祭りがある、明け方の三日月を三尊像と見立てて)
 

 細い三日月がまるで天上に浮かぶ舟の形になる水仙が咲く頃の三日月(四日)を見ると、向こうの世界の祭りを想像してしてしまう。
(水仙月の四日だもの、ひとりくらいいこっちへ取ったっていいんだ)というあの世の強気・・・賢治のブラックユーモア。


 水仙月の四日・・・昨夕の三日月。
 賢治を思って胸いっぱいになったことでした。

『風の又三郎』270。

2012-03-26 05:59:27 | 宮沢賢治
「わあい。専売局でぁ、この葉一枚づつ数へで帖面さつけでるだ。おら知らないぞ。」
「おらも知らなぃぞ。」
「おらも知らなぃぞ。」みんな口をそろへてはやしました。

 帖(面)はチョウと読んで、丁(十干の第四→die、死)から「死」を暗示していると思う。

☆千(たくさん)の媒(仲介)は極めて庸(一定不変、かたよらない)。
 何時も邁/止まらず遠くへゆき、崇/気高い。
 死の綿(細く長く続く)血(血縁)。
 致(招く)智(真理を悟り、煩悩を断つ心の働き)の光。