自分を初めとして、次第に周りの人たちが老いてくるのを感じる。当たり前と言えばそれまでだけど、それが明らかに目に見えるようになると、抱えきれない暗雲のような漠とした不安がわたしを襲うのである。
わたしも老いつつあるけれど、近隣、友人たちにもその徴候は判然としてきている。病気、歩行困難、施設への入居・・・。
けれど、いつか消えてしまうという結末を簡単には理解できない。あんなに元気よく笑いさざめいていた日常に亀裂が入り薄い雲がかかる、近くにいたものが遠くへ行ってしまう寂寞に耐えられない。
少しづつ壊れていく。
昨日出来たことが今日は出来ない。
気合い(精神)があればという次元は超えてしまい、精神そのものが壊れかかっているのを感じる時、わたしはひそかに涙している。
思いがけない言葉を発し自制できない結果が、自分を追い詰めていくこともあるかもしれない。十分注意しているつもりでも転んでしまう。
幼い子供に「よく気をつけなければいけませんよ」などと注意する。そのまま老いた自分に言い聞かせている、「よく気をつけなければいけませんよ」と。
世間を知らない子供の時以上に、日常茶飯事すべてにおいて細心の注意を払うべきはむしろ老いてからである。不安を抱え込んだ老いの姿勢は惨めで悲しいけれど、払拭するべきアイデア(機転)を持たなければいけない。
不安を凌駕するものは、大いなる慈しみの心かもしれない。人をも我をも心から愛する気持ち、それを老いの精神の基本にしたい。