続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

鈴木しづ子(私的解釈)コスモスなど。

2021-07-25 07:00:54 | 鈴木しづ子

   コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ

 陽の当たる場所で育った美しくも可憐なコスモス。南風吹けばそのように、東風吹けばそのように、みんな揃って靡く従順。
 健気・・・細く長く伸びた茎のしなやかさ、存外の強さは胸を打つものがある。

 吹く風に負け、それでも抗って生きているわたし。絶望、ひがみ、口惜しさ…コスモスはいいなぁ、立派だよ。大輪の驕りもなく静かにやさしく笑っている。

 コスモスなんかに負けない! いいえ、コスモスの優しさに励まされている。この優しい救いを拒めない。死んではならないと、コスモスは唱っている。


『飯島晴子』(私的解釈)葦茂る。

2021-07-24 06:23:11 | 飯島晴子

   葦茂る平たい乳房かしづかれ

 葦茂るはイ・モと読んで、葦、茂。
 平たいはヘイと読んで、平。
 乳房かしづかれ(乳房傅)はニュー・ボウ・ブと読んで、New、房、部。
☆葦の茂る平(平屋)のNew(新しい)房(住まい)は、部(離れ)である。

 葦茂るはイ・モと読んで、伊、模。
 平たいはビョウと読んで、廟。
 乳房かしづかれ(乳房傅)はニュー・ボウ・デンと読んで、新(new)、貌、殿。
☆伊(イタリア)に模(似せて作る)廟(やしろ)は、新しい貌(外観)の殿(大きく立派な建物)である。

 葦茂るはイ・モと読んで、異、模。
 平たいはヘイと読んで、併。
 乳房かしづかれ(乳房傅)はニュー・ボウ・フと読んで、新、某、譜。
☆異(ことなる)模範(手本)を併(あわせ)新しくした某(なにがし)、譜(代々引き継がれている)。

 葦茂るはイ・モと読んで、医、母。
 平たいはヘイと読んで、弊。
 乳房かしづかれ(乳房傅)はニュウ・ボウ・フと読んで、柔、旁、傅。
☆医(病気を治す)母の弊(疲れ)を柔(和らげる)のは、旁(かたわら)の傅(付き添い)である。


『飯島晴子』(私的解釈)どろやなぎ。

2021-07-23 06:27:03 | 飯島晴子

   どろやなぎなまやさしくも菩薩見え

 どろやなぎ(泥楊)はデイ・ヨウと読んで、泥、様。
 なまやさしくも(生易)はショウ・イと読んで、粧。
 菩薩見えはボ・サツ・ケンと読んで、母、察、験。
☆泥(こだわる)様(姿/形)粧(身繕い)委(隅々まで)、母は察(よく見て)験(調べる)。

 どろやなぎ(泥楊)はデイ・ヨウと読んで、泥、要。
 なまやさしくも(生易)はショウ・イと読んで、章、異。
 菩薩見えはボ・サツ・ゲンと読んで、簿、察、現。
☆泥(こだわる)要の章は、異なる。
 簿(ノート)を察(よく見ると)現れる。

 どろやなぎ(泥楊)はデイ・ヨウと読んで、泥、様。
 なまやさしくも(生易)はショウ・イと読んで、傷、依。
 菩薩見えはボ・サツ・ゲンと読んで、模、擦、現。
☆泥(どろだらけ)の様(姿)、傷も依(そのまま)の模(ようす)で擦り現れた。

 どろやなぎ(泥楊)はデイ・ヨウと読んで、泥、容。
 なまやさしくも(生易)はショウ・イと読んで、焼、異。
 菩薩見えはボ・サツ・ゲンと読んで、模、殺、現。
☆泥で容(器)を焼く。
 異(他と異なる)模(ありさま)、殺(削いで)現わす。(面取り技法)


『飯島晴子』(私的解釈)遅れて着く。

2021-07-22 06:57:40 | 飯島晴子

   遅れて着く花粉まみれの人喰沼

※遅れて着いた華やかな扮(装い/身繕い)ばかりの甚句ショー。

 遅れて着くはチ・ジャクと読んで、置、雀。
 花粉まみれ(花粉塗)はカ・フン・トと読んで、窠、粉、杜。
 人喰沼はジン・ク・ショウと読んで、人、苦、笑。
☆置(据えた)雀の窠(ねぐら)を粉(細かく砕く)杜の人の苦笑。

 遅れて着くはチ・ジャクと読んで、質、惹。
 花粉まみれ(花粉塗)はカ・フン・トと読んで、歌、奮、都。
 人喰沼はニン・ク・ショウと読んで、忍、句、象。
☆質(内容)に惹かれる歌に奮(ふるい立つ)。
 都(雅で美しいこと)を忍ぶ句(言葉)の象(すがた)がある。

 遅れて着くはチ・チャクと読んで、痴、著。
 花粉まみれ(花粉塗)はカ・フン・トと読んで、過、憤、徒。
 人喰沼はジン・ク・ショウと読んで、訊、苦、匠。
☆痴(おろか)が著(明らかになる)過(あやまち)に憤る。
 徒(門人)を訊(問いただし)苦(にがにがしく思う)匠(学術・芸術上で優れた人)がいる。

 遅れて着くはチ・チャクと読んで、遅、着。
 花粉まみれ(花粉塗)はカ・フン・トと読んで、荷、憤、途。
 人喰沼はジン・ク・ショウと読んで、甚、苦、障。
☆遅れた着荷に憤る。
 途(途中)の甚(はなはだしい)苦(にがにがしく思う)障(さえぎる/邪魔→渋滞)があった。


『飯島晴子』(私的解釈)紅梅で。

2021-07-21 07:29:43 | 飯島晴子

   紅梅であったかもしれぬ荒地の橋

※紅梅であったかもしれない荒地の境・・・今は荒地となっている耕地、かつてこの紅梅の木が土地の境目であったかもしれない。ちなみに梅の木は橋材にはならない。

 紅梅はコウ・バイと読んで、恒、狽。
 あったかもしれぬ(有知)はユウ・チと読んで、誘、質。
 荒地の橋はコウ・チ・キョウと読んで、交、致、怯。
☆恒(つね)に狽える誘いの質(内容)、交(付き合い)を致(まねかれる)と、怯んでしまう。

 紅梅はコウ・バイと読んで、劫、煤。
 あったかもしれぬ(有知)はユウ・チと読んで、憂、致。
 荒地の橋はコウ・チ・キョウと読んで、腔、質、況。
☆劫(おびやかす)煤(すす)の憂(心配)が致(まねく)腔(体内の中空になっている部分、胸腔、口腔、体腔、鼻腔、腹腔)の質(内容)の況(ありさま)がある。

 紅梅はコウ・バイと読んで、交、媒。
 あったかもしれぬ(有知)はユウ・チと読んで、友、智。
 荒地の橋はコウ・チ・キョウと読んで、巧、致、協。
☆交(交際)の媒(なかだち)をする友は智(頭の働きが優れている)巧(たくみ)に致(招き)協(話をまとめる)。

 紅梅はコウ・バイと読んで、公、売。
 あったかもしれぬ(有知)はユウ・チと読んで、猶、質。
 荒地の橋はコウ・チ・キョウと読んで、考、知、恐。
☆公売(差し押さえなどで得た物品を公告して入札、競売すること)を猶(ためらう)。
 質(内容)を考(調べ)知ると、恐い。


鈴木しづ子(私的解釈)風鈴や。

2021-07-21 07:12:08 | 鈴木しづ子

   風鈴や枕に伏してしくしく涕く

 風鈴の音! ガラスに触れる金属音・・・なぜか巡礼の鈴の音にも似た音域がある。
 一つ積んでは父のため 二つ積んでは母のためと、心もとなく石を積み重ねていくような寂寥感、そして孤独。

 風なき風の音、胸の底よりこみ上げる恋情、伏した枕に忍び寄るのは風だけ。泣いてみようか、母に叱られた子供のように、しくしく涕いている。


D『接近する金属の中に水車のある独身者の器具』2。

2021-07-21 06:36:54 | 美術ノート

 タイトルは作品に合致する、意味の分解、あるいは崩壊という点において。
 確かに水車らしきものが・・・単に車輪のようなものが対にあるに過ぎず、これが水流によって回転するとは到底考えられないし、ここに水もない。金属は他動であって自動的に接近は不可である。遠近法があるようで叶っていない図法である。しかもこれらに着地はなく浮いているとしか思えないが、浮く要素もない。

 条理の外に位置するこれらの集合はガラス板に描かれたものであるらしいが凝視するほどに意味を定めることができない設定である。

 情報収集の打破、組み立てられたデータは、この作品世界には通用しない。
《言葉と物》の間に接合不可能な溝を感じる、未来永劫結びつかない亀裂である。言葉と物は最初から結びついている、合致することが絶対条件だからであるが、その絶対を切断した行為がデュシャンの作品である。

 不合理、不条理、総てを否定しうる静かなる告発は大いなる条理かもしれない。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』28。

2021-07-21 06:16:45 | カフカ覚書

どんなものもぼくたちを停めることはできなかったろう、ぼくたちは追い越すときたがいに腕を胸の前に組んで悠々と振り返ることができたほど、勢いにのって駆けた。


☆わたしたちを停めることは誰にもできなかったろう。哀れな人の追い越すのを傍観し、静かに振り返って見ることができたほどに走った。


『飯島晴子』(私的解釈)冬の母。

2021-07-20 07:17:27 | 飯島晴子

   冬の母まつられ厚き舌をもつ

 冬の母はトウ・ボと読んで、党、暮。
 まつられ厚き(祀厚)はシ・コウと読んで、支、交。
 舌をもつ(舌持)はゼツ・ジと読んで、絶、事。
☆党(仲間)の暮らしを支え、交(行き来しあうこと)は絶(素晴らしい)事である。

 冬の母はトウ・ボと読んで、盗、模。
 まつられ厚き(祀厚)ハシ・コウと読んで、視、交。
 舌をもつ(舌持)はゼツ・ジと読んで、舌、似。
☆盗む模(ありさま)を視(よく見ると)交じる舌(言葉)が似ている。

 冬の母はトウ・ボと読んで、蕩、暮。
 まつられ厚き(祀厚)はシ・コウと読んで、肆、恒。
 舌をもつ(舌持)はゼツ・ジと読んで。絶、自。
☆蕩(だらしない)暮らしを肆(ほしいままにする)恒(常)を絶(断ち切る)自(わたくし)である。

 冬の母はトウ・ボと読んで、唐、母。
 まつられ厚き(祀厚)はシ・コウと読んで、子、講。
 舌をもつ(舌持)はゼツ・ジと読んで、舌、似。
☆唐(外国人)の母、子(子供)の講(はなし)舌(ことば)を似(真似ている)。

 冬の母はトウ・ボと読んで、套、簿。
 まつられ厚き(祀厚)はシ・コウと読んで、覗、構。
 舌をもつ(舌持)はゼツ・ジと読んで、舌、治。
☆套(蔽った)簿(ノート)を覗き、構(組み立て)舌(言葉)を治めている。


D『接近する金属の中に水車のある独身者の器具』

2021-07-20 06:44:56 | 美術ノート

   『接近する金属の中に水車のある独身者の器具』

 接近する金属? なんという詩的な表現だろう。要するに仮想空間でしか起こり得ない動向である。
 第四次物理空間では決して存在しない時空表現である。さらに金属の中に水車があるという奇想天外、しかもそれが独身者の器具だという。だいたい独身者って…既婚者以外は皆独身者だけど、独身者の器具など聞いたことがない。
 意味不明な羅列、言葉がハレーションを起こしている現場に眩暈を感じる、不思議な世界、有り得ない時空の魔力。真善美などという情緒、人間的な風合いの欠如は鋭利なナイフで切り取ったような夢幻である。

 作品は平面であるが、蝶番がついており回転を可能とするものである。つまり平面ではなく三次空間を前提とする仕組みである。この二次元を回転させると中にある具体的なそれぞれは具体性を失い、ただの線条になり、全体は球体として浮上する仕掛けである。

 現今見えている真実を霧消に帰す、有ったものが無くなる。
 存在とは何だろう。消失前の幻のようにさえ思えてくる。不条理この上ないタイトルと作品に描かれた歪みある実質を伴わない条理を外した奇想の関係に答はあるのだろうか。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより