続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『桟敷席』

2021-09-22 07:15:43 | 美術ノート

   『桟敷席』

 舞台のボックス席、向かい側にも窓があり、同じように下の舞台を見ているらしい人影がある。この席の空間の異様さは明らかで双頭の女性の四つの眼差しがこちらを見ている。見ている者(現世)を見ている。つまりこちらは見つめられている。髪の毛さえあれば美しい女人であると認識できるが、頭髪の欠如によって不気味にしか見えない。
 二人の人の合体だろうか、着衣や手足は女に見えるが、上着は男子用にも見える。デュシャンがモナリザに髭を加えて男に見せたのと同様、頭髪は男女を区別できる手掛かりかもしれない。
 ゆえにこの女性は男女を併せ持った者、父母、かつ先祖(ルーツ)だとも考えられる。ここは現世(舞台)を覗き見出来る桟敷席ではないか。
 女の子が舞台を見ている(らしい)。ここでは年齢はすでに解放された区域、解放区(冥府)なのだと思う。

 女の子は、マグリットの母であり、亡母に見ていてほしい気持ちを冥府の側から希望的観測により覗いた仕掛け図である。

 写真は『マグリット展』図録より


『水仙月の四日』12。

2021-09-22 06:35:07 | 宮沢賢治

 雪童子はまつ青なそらを見あげて見えない星に叫びました。その空からは青びかりが波になつてわくわくと降り、雪狼どもは、ずうつと遠くで焔のやうに赤い舌をべろべろ吐いてゐます。

 青びかり…青はショウと読んで照(普く光が当たる=平等)。
 赤い舌…赤はシャクと読んで、釈(意味を解き明かす)。舌は言葉。
☆☆みんな平等なのだと、大神たちは事情を説明する言葉を投げかけました。

「しゆ、戻れつたら、しゆ、」雪童子がはねあがるやうにして叱りましたら、いままで雪にくつきり落ちてゐた雪童子の影法師は、ぎらつと白いひかりに変り、狼どもは耳をたてて一さんに戻つてきました。

 白いひかり…白はハクと読んで、魄。
☆雪童子(道を示す人)の影法師は、ぎらつと影法師(影)から魄のひかり(空間を漂うひかり)に変り、大神たちは戻ってきました。要するに自在である大いなる神たち。


『飯島晴子』(私的解釈)星合の。

2021-09-21 07:13:51 | 飯島晴子

   星合の波の音する新羅の壺

※七夕の川を渡る波音が聞こえるような新羅(古代)の壺である。

 星合はセイ・ゴウと読んで、凄、轟。
 波の音はハ・インと読んで、破、隠。
 新羅の壺はシン・ラ・コと読んで、震、裸、己。
☆凄(すさまじい)轟(大きな音が鳴り響き)破(物が壊れた)。
 隠れて震(ふるえ慄く)裸(むきだし)の己(わたくし)。

 星合はショウ・ゴウと読んで、紹、合。
 波の音はハ・オンと読んで、破、音。
 新羅の壺はシン・トウ・コと読んで、信、等、拠。
☆紹(引き合わせ)合(一緒になること)を破(やりぬく)。
 音信等が拠(より所)であった。

 星合はショウ・ゴウと読んで、照、合。
 波の音はハ・インと読んで、頗、因。
 新羅の壺は審、シン・ラ・コと読んで、審、羅、固。
☆照合(複数のものを照らし合わせること)で頗(かたより/公平でない)の因(もと)を審(つまびらかにし)羅(網にかけるように残らずとる)、固(頑なに/初めから)。


D『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』

2021-09-21 06:47:54 | 美術ノート

 原点である。
 ローズ・セラヴィという自分の中のわたし、性が異なるかもしれない。異なるが、わたしである。わたしはすでにローズ・セラヴィでもある。

 理解しがたいかもしれないが、端的に言えば、「わたしはローズ・セラヴィである」
 わたしの中のローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない? なぜ姿を現さない?

 ローズ・セラヴィはわたしの中で固く結びついている。わたしがローズ・セラヴィであると言ってもいい。
 この矛盾、この不思議をどう証明したらいいのか・・・。

 秘かに抱えている性への疑問、人間は如何にして人間たり得るのか。
 見えている形態の決定、揺らぐ内部の精神、複雑さの猛威。並べて型に収めるデータ化の納得。
 承服しかねる男女の判別、結婚、婚姻の原初。

『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』
 キャサリン・ドライヤーはデュシャンがキャサリン・ドライヤーの妹にどのような感情を持っているのかを確認したかったのではないか。何もかも取り払って無心・自由な気持ちでの告白(返答)がこの作品だったのではないかと思う。

 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『水仙月の四日』11。

2021-09-21 06:39:05 | 宮沢賢治

「カシオピイア、
 もう水仙が咲き出すぞ
 おまへのガラスの水車
 きつきとまはせ。」
 雪童子はまつ青なそらを見あげて見えない星に叫びました。

 カシオピイアは周極星、北極星を中心にガラス(見えない)水車のように回っている。大きな天体、宇宙全体のなかの雪童子(道を教える人)である。


律樹ちゃん。

2021-09-21 06:23:38 | 律樹

 健太の子が一歳三か月、健太もお父さんになったね、と思うと感無量。
 律樹ちゃんもよく歩き、よく笑い、よく泣く。
 わたしの手作り人形を見ると何故か大泣き・・・。恐れて後ず去りしている。

 健太一家の満面の笑顔、それだけで十分幸せな気分、ありがとう。


『飯島晴子』(私的解釈)あけぼのの。

2021-09-20 07:37:59 | 飯島晴子

   あけぼのの舟をたゝくや白撫子

 あけぼのの舟(曙舟)はショ・シュウと読んで、書、蒐。
 たゝくや(叩)はコウと読んで、広。
 白撫子はハク・ブ・シと読んで、博、豊、師。
☆書を蒐(あつめる)広博(知識などが広いこと)、豊かな師(先生)である。

 あけぼのの舟(曙舟)はショ・シュウと読んで、初、秋。
 たゝくや(叩)はコウと読んで、候。
☆初秋の候、白撫子がさいている。(秋の七草)

 あけぼのの舟(曙舟)はショ・シュウと読んで、初、終。
 たゝくや(叩)はコウと読んで、恒。
 白撫子はハク・ブ・シと読んで、箔、分、糸。
☆初めから終わりまで恒(一定している)箔の分(厚み)の糸である。

 あけぼのの舟(曙舟)はショ・シュウと読んで、庶、集。
 たゝくや(叩)はコウと読んで、幸。
 白撫子はハク・ブ・シと読んで、拍、舞、姿。
☆庶(もろもろ/皆)が集まるのは幸せである。
 拍(手拍子をし)舞(踊る)姿がある。

 あけぼのの舟(曙舟)はショ・シュウと読んで、初、秋。
 たゝくや(叩)はコウと読んで、候。
 白撫子はハク・ブ・シと読んで、白、蕪、至。
☆初秋の候、白(明らか)に蕪(雑草が生い茂る)至(ことになる)。


『飯島晴子』(私的解釈)山かぞへ。

2021-09-20 07:17:18 | 飯島晴子

   山かぞへ川かぞへ来し桐の花

 山かぞへ(山数)はサン・スウと読んで、参、趨。
 川かぞへ(川数)はセン・スウと読んで、旋、枢。
 来し桐の花はライ・トウ・カと読んで、頼、頭、化。
☆参(仲間に加わり)趨(ある方向へ進んでいく)。
 旋(仲を取り持つ)枢(要)は頭(トップ)の化(教え導き)である。

 山かぞへ(山数)はサン・スウと読んで、賛、崇。
 川かぞへ(川数)はセン・スウと読んで、鮮、雛。
 来し桐の花はライ・トウ・カと読んで、礼、桃、花。
☆賛(称え)崇(あがめる)鮮(あざやかな)雛に礼(敬意を払って)桃の花。

 山かぞへ(山数)はサン・スウと読んで、三、枢。
 川かぞへ(川数)はセン・スウと読んで、遷、数。
 来し桐の花はライ・トウ・カと読んで、磊、問う、果。
☆三つの枢(重要な)遷(移り変わり)の数(はかりごと)がある。
 磊(小さなことにこだわらない)で問うと、果(原因があって生じるもの/結末)がある。


『飯島晴子』(私的解釈)天刑や。

2021-09-19 08:08:38 | 飯島晴子

   天刑やあをき李の花枝のあつまり

 天刑はテン・ケイと読んで、展、経。
 あをき李の花(青李花)はセイ・リ・カと読んで、整、理、化。
 枝のあつまり(枝集)はシ・シュウと読んで、詞、集。
☆展(かえりみて)経(つね)に整(きちんとととのえる)理(物事の筋道)がある。
 化(形、性質を変えて別のものになる)詞(言葉)を集めている。

 天刑はテン・ケイと読んで、典、敬。
 あをき李の花(青李花)はショウ・リ・カと読んで、象、悧、彼。
 枝のあつまり(枝集)はシ・シュウと読んで、師、秀。
☆典(書物)を敬う象(すがた)の悧(頭がよく働いて賢いさま)の彼の師(せんせい)は秀れている。

 天刑はテン・ケイと読んで、天、恵。
 あをき李の花(青李花)はショウ・リ・カと読んで、照、理、果。
 枝のあつまり(枝集)はシ・シュウと読んで、視、周。
☆天の恵みの照(ひかり)は、理(宇宙の根本原理)であり、果(原因があって生じるもの)である。 
 視(気をつけてみると)周(普く隅々まで行き渡っている)。


鈴木しづ子(私的解釈)寒の夜を。

2021-09-19 07:52:16 | 鈴木しづ子

   寒の夜を壺砕け散る散らしけり

 寒い夜、心も凍えて緊張の糸がプツンと切れる音がする。何もかも…世間の風の冷たさ、わたしは道を外しただろうか。蔑み? いえ、堂々と生きている。生きざるを得ないじゃない。

 わたしを守ってくれる常識の壺よ。
 足並み揃えて、とささやく壺は、こんな寒くて辛い夜に砕け散ってしまった。(これからどうしたら・・・)

 いいえ、こんな壺はわたくし自らが、砕いたのです。