相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「県立相模原公園」の「河津桜」が見頃となってきた!!

2025-03-03 16:09:43 | 公園・庭園
相模原市南区相模原市下溝に四季の花が絶えない「県立相模原公園」はある。「ユリノキゲート」から入った「遊具広場」の後方一画に5~6本ほど植栽されている早咲きの「河津桜」エリアがある。「河津桜」はバラ科サクラ属で「オオシマザクラ」と「カンヒザクラ」の自然交雑から生まれた日本原産のサクラである。ここは相模太夫的には相模原の「河津桜」の開花の目安となる標準木的存在である。今年は2月の寒波で開花が遅く先月20日はまだ10輪も咲いていなかったが、金土日の暖かさ、厚さで一気に開花、今日はもう見頃近くに達して4、5分咲きとなっている。しかし今週は水曜までまた寒く、雪予報であることから開花ストップがかかるかもしれない。今週土曜日辺りが一番美しくきれいな河津桜を見れそうである。「河津桜」の次にスタンバイ中の桜が「オカメザクラ」「タマナワザクラ」が開花し始め、「カンヒザクラ」が既に蕾も弾けそうに生長中である。(2503)
 
 
 
 
 
 
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幕末期の擬洋風建築「旧中村家住宅」と「長屋門」

2025-03-03 11:15:21 | 建造物
相模原市南区磯部に全国的にも非常に珍しい幕末期の擬洋風建築で国登録有形文化財となっている「旧中村家住宅」はある。建築当初は3階建てで、関東大震災後、3階部分は取り除かれ今は2階建てとなっいる。建てたのは鎌倉大工の「石井甚五郎」が10年の歳月を掛け造り上げた。1869㎡敷地面積内に現在は2階建ての住宅=延床面積:420㎡となっている。建物は一階の外観は和風の要素で纏められ、2階は外壁を海鼠壁という洋風の要素を取り入れ軒を曲線の白漆喰で塗りこめ正面に縦長の窓を配している。一階の間取りは「式台の間」、「茶の間」、「客座敷」があり、2階には「和室」が四室ある。なお関東大震災後、三階部分は取り除かれた三階は六畳の主室と二畳の前室があった。敷地内裏庭には「稲荷神社」の社がある。また道路に沿って威風堂々と建つ「長屋門」は約19m(桁行63尺)の長大なもので主屋と同時期の慶応年間に建てられた。中村家は「勝坂大尽」と呼ばれる「素封家」(大金持ち/財産家)であった。平成13年(2001)当時の当主「中村正衛」によると幕末期に「生糸の商い」で財をなした。現在は歯科診療医院を経営している。また大正15年中村家の敷地内畑から採取した縄文時代の勝坂式土器が発見され現在の「勝坂遺跡」の元となった。(2502)
 
 
 
 
 
 
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磯部勝坂地区の鎮守「石楯尾神社」

2025-03-03 07:24:02 | 神社
相模原市南区磯部勝坂の丘上に磯部勝坂地区の集落の旧家が鎮守として鬼門の方角に建てたとされる「石楯尾神社」は鎮座している。「石楯尾神社」は相模原市に3社、藤沢に1社あるが、「延喜式神名帳」に記載されている相模国の延喜式内社十三社の内の一社とされるのが「高座郡石楯尾神社」である。ここ勝坂の「石楯尾神社」の創建年代は不詳であるが、江戸時代の寛政12年(1800)に社殿が再建されたことからそれ以前とされる。天保5年(1834)に社殿の修復、安政7年(1860)に秋葉山講中建立の石碑が奉納さる。明治5年に覆殿と拝殿を改築、拝殿の天井の龍絵は明治5年に地元の中村大吉氏が描いたとされる。明治維新後に「石楯尾神社」と改称している。祭神は大己貴命。社号標から50mほど先に構えられた「鳥居」を抜けると120段の石段が続く急こう配の参道が続き、上りきった正面に「社殿」がある。明治初期に改められる迄は「羽黒権現社」と称され「修験道」或は「山岳修行」が行われていた霊地であったように窺われる。境内社として「秋葉社」が祀られている。(2502)
 
 
 
 
 
 
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