川崎市多摩区登戸に「光明院」の持、登戸村小名東耕地の鎮守「登戸稲荷社」はある。創建年代は不詳であるが武田家の家臣吉沢兵庫が当地で帰農の際に邸内鎮守として草創。天正18年(1580)、多摩川の洪水で社殿など流失後、中村の旧屋敷の敷地を譲り受け再建した。もと鳥居前に寛政6年刻銘の鳥居があったが嵐で倒潰し、社殿も大損傷を受け現在の社殿を再建した。450年以上の社歴を有す。祭神は宇賀魂大神、牛頭天王。衣食住の神様が祀られ特に安産、厄払いに御利益があり七五三の時期には地元の親子が大勢訪れる神社である。当社の見どころは外壁が漆喰の彫刻で飾られた「鏝絵」である。かつて登戸に腕利きの左官職人達がおり鏝ひとつで描き上げたという壁画は素晴らしくその見事さは登戸に存在した「ものづくり」の精神を今に伝えるとされる。「鳥居」を抜けると一対の石狐、慰霊碑があり正面に「社殿」、右に「神楽殿」がある。(2105)








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