台湾の女性日本画家、陳進(ちんしん)生誕100年記念展が
神戸市灘区海岸べりにある兵庫県立美術館で7月23日まで
開かれており、たまたま知人から招待券をいただいたので
出かけた。
当美術館は世界的にも著名な日本の建築家の設計で
建てられたということでも有名だが、館を訪れるお年寄りの
疲れやすいなどの苦情も多いと聞いているが、失礼ながら
コンクリートで固められた塹壕の中を歩いているようで、
なかなか好きになれない。
ただ本日の美術展の中身は文句のつけようが無いほど
すばらしかった。78点のご自身の作品と陳進滞日時代の
日本画家の作品48点も展示されており見ごたえがあった。
陳進は日本統治下の台湾で1907年生まれ、1998年92歳で
なくなる。父は有数の実業家であり、経済的にも文化的にも
恵まれた環境で育った。
当時台湾女性の最高学府の台北第三高等女学校にはいる。
そのとき赴任していた日本画家、郷原古統の勧めで東京の
女子美術学校に進み才能が開花した。日本では結城素明、
松林桂月、鉢木清方、伊藤深水に師事した。
展覧会場では、先の師匠の絵だけでなく同時代に活躍した北野恒富
橋本明治、上村松園、島成園、中村貞以、梶原緋佐子、
中村大三郎ほか多数の日本画家の名作を堪能できた。
陳進は40歳で結婚、42年に第一子をもうける。「みどりご」、
「母親」,「赤ちゃん」など親子のほほえましい瞬間を描いた絵や
画家でありながら、同時に母として女性としての視点から
こまやかな情感あふれる多くの作品を残している。
1934年に第15回帝展に出した作品は中国服を着た女性が
描かれている。翌35年には、『悠間』というタイトルで、姉をモデルに
中国式の天蓋付きのベットに横たわる婦人像を描いた。
同美術館はコレクション展も7月9日まで同時開催している。
館を出て海沿いを散歩した後、美術館西北道路超えの
地点から美術館前をスケッチした。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)
神戸市灘区海岸べりにある兵庫県立美術館で7月23日まで
開かれており、たまたま知人から招待券をいただいたので
出かけた。
当美術館は世界的にも著名な日本の建築家の設計で
建てられたということでも有名だが、館を訪れるお年寄りの
疲れやすいなどの苦情も多いと聞いているが、失礼ながら
コンクリートで固められた塹壕の中を歩いているようで、
なかなか好きになれない。
ただ本日の美術展の中身は文句のつけようが無いほど
すばらしかった。78点のご自身の作品と陳進滞日時代の
日本画家の作品48点も展示されており見ごたえがあった。
陳進は日本統治下の台湾で1907年生まれ、1998年92歳で
なくなる。父は有数の実業家であり、経済的にも文化的にも
恵まれた環境で育った。
当時台湾女性の最高学府の台北第三高等女学校にはいる。
そのとき赴任していた日本画家、郷原古統の勧めで東京の
女子美術学校に進み才能が開花した。日本では結城素明、
松林桂月、鉢木清方、伊藤深水に師事した。
展覧会場では、先の師匠の絵だけでなく同時代に活躍した北野恒富
橋本明治、上村松園、島成園、中村貞以、梶原緋佐子、
中村大三郎ほか多数の日本画家の名作を堪能できた。
陳進は40歳で結婚、42年に第一子をもうける。「みどりご」、
「母親」,「赤ちゃん」など親子のほほえましい瞬間を描いた絵や
画家でありながら、同時に母として女性としての視点から
こまやかな情感あふれる多くの作品を残している。
1934年に第15回帝展に出した作品は中国服を着た女性が
描かれている。翌35年には、『悠間』というタイトルで、姉をモデルに
中国式の天蓋付きのベットに横たわる婦人像を描いた。
同美術館はコレクション展も7月9日まで同時開催している。
館を出て海沿いを散歩した後、美術館西北道路超えの
地点から美術館前をスケッチした。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)