獅子王圓泰師・延暦寺バスツアー
江嵜企画代表・Ken
西宮文化協会(会長・吉井貞敏氏)の十月行事として比叡山(横川と西塔)バスツアに参加した。関西に住んでいて比叡山は話もしばしば聞き京都市内からも大津からでも遠望していたが訪れるのは今回が初めてである。
集合場所の西宮神社を朝9時出発、途中渋滞もなく桂インターで休憩をいれたあと蝉丸トンネルを越えると山科を経て程なく比叡山である。
終日お世話になった延暦寺長獅子王圓泰師が比叡山のふもとでバスに乗られたタイミングをねらって早速スケッチさせていただいた。
比叡山延暦寺は三塔(東塔・西塔・横川)十六谷に分かれており堂塔伽藍を総称して延暦寺という。谷間にお寺が現在120から130ある。往時には3000もの寺が並んでいたそうだ。
延暦寺の周囲はおよそ100キロある。一日で全ては回り切れるしろものではない。今回は横川(よかわ)と西塔(さいとう)巡りとなった。
横川には第三代座主慈覚大師円仁が開いた横川中堂がある。ここでおみくじが創始されたと言われる角大師(つのたいし)、豆大師と呼ばれる元三大師堂を訪れた。
角大師の由来が面白い。永観二年(984)全国に疫病がはやった。元三大師(がんざんたいし)は大きな鏡の前に自分の姿を映され静かに目を閉じ座禅に入られると姿が変わり、骨ばかりの夜叉になられた。それを絵師の明善阿弥闍梨が写し取った絵を見て、版木でお札に刷るよう命じられ自らも開眼された。以来このお札を角大師と称し元三大師の護符として使われた。
昼食のあと西塔の中心にある釈迦堂を訪れた。織田信長に火を付けられたいわれの寺である。やや離れたところに法華堂があった。お堂の中から読経の声が聞こえた。獅子王師から修行僧二人が中におり、行の最中にあると聞いた。
今年京都は源氏物語1000年祭を祝っている。源氏物語4帖「夕顔」で光源氏が夕顔の法要を行ったところと説明板にあった。
獅子王師によれば、比叡山は修行の山である。法華堂では5百日から七百日修行のあと九日間断水断食で一区切りつけるのだそうだ。
比叡山といえば千日回峰がよく知られている。回峰行者の通る道を案内いただいた。人一人通るのも狭い道だった。そこを疾風の如く行者は走り抜ける。白装束をして走り抜ける姿が白鷺に似ているので「峰の白鷺」と呼ばれるのだそうだ。「谷間の鈴虫」とも言われる。身につけた鈴の音から来ていると聞いた。
延暦寺の修行は、論・湿・寒・貧の4つの試練がある。「論」は仏の教えを学び激しく議論を交わす。「湿」は比叡山は北に日本海,東に琵琶湖を控えており湿度は尋常であない。柱も傷みが早いが修行僧は湿気に参る。「寒」は冬場は零下18度を獅子王師も体験されたそうだ。
最後の「貧」はお金の貧乏ではない。清貧の貧である。清貧の心を修行で学ぶのだそうだ。
現在比叡山延暦寺には62~3人の僧侶が常時修行している。そのほかに毎年全国の寺から集まる100人が一年を前後に分けて修行している。比叡山は正に修行の道場なのだと実感した次第である。
獅子王師は現在比叡山延暦寺大霊園の園長さんの肩書きを持たれる。現在7500基のお墓があり、永代供養されていると聞いた。
人がなくなると仏になるまでに通夜,葬儀、四十九日までまず初七日がある。葬儀の日に初七日を済ます家庭が増えたそうだ。ところが四十九日も一周忌までも一日で済まして欲しいと頼み込んでこられる人がおられると淡々と話しておられたのが印象に残った。亡くなった人もこれではとても成仏できまい。
話はつきない。
今回のツアは獅子王圓泰師さんと西宮神社前権宮司吉井貞敏さんとの深い絆があってはじめて実現した。すばらしいご縁をいただき感謝申し上げる次第である(了)