佐藤しのぶさん:読売こころ塾
江嵜企画代表・Ken
第30回読売こころ塾が、ソプラノ歌手の佐藤しのぶさんを迎えて、山折哲雄さんと語り合うということで、会場の大槻能楽堂(大阪市中央区上町)へ楽しみにして出掛けた。午後1時半開場だったが15分ほど早めに着いたが既に長蛇の列、いつもの時よりはるかうしろにあった空席に座るはめになった。
ところが、物ごとは悲観的に考えることはない。後ろ寄りの席だったために、思いがけず、能舞台全景を見渡せる場所でのスケッチが出来、幸いだった。甲子園の時と同じである。隣のおじさんやおばさんが、「あれっ?、絵なんか描いてる、描いてる」と声をかけて来る。こちらは構っている余裕はない。周りを一切無視しして描き続け、開演で席に着かれた塾長の山折さん、ゲストの佐藤さん、司会の音田さんを描き込んで仕上げた。
2時から質問時間20分をいれて午後4時まで、濃密なトークが切れ目なく続き、佐藤しのぶさんの口から、書き残しておきたい言葉が次々飛び出した。必死にメモをとろうとしたが果たせなかった。後日、読売朝刊でまとめて掲載されると言うが、捨てがたいきら星のごとき言葉の連発だったので、プロの記者がどのようにまとめられるのか別の意味で興味深々である。
筆者なりに印象に残った言葉を列挙したい。
1)子供の頃は虚弱体質で、内向的なこどもだった。ピアノは一人で完結できる楽器で、ピアノに没頭していた。本が大好きだった。母親が日本昔話を枕元で読んでくれた。父親の本箱にある本をアンナカレリ―ナ、宮沢賢治など片っ端から読んだ。
2)(音楽の才能について聞かれて)ありません。しいて挙げると、①明るいこと、②大きなからだ(と答えた)
3)(先生との出会いに触れて)声楽のテストを受けて合格したとき、先生に「僕と一緒に勉強しませんか」と言われた。(音楽だけでそれまで過ごしてきたが)絵も見る、恋をしなさい、旅に出なさいと先生に言われびっくりした。
4)(両親について)父親は銀行員で普通のサラリーマンの家庭だった。生まれてから小、中、高を大阪で過ごす。(一つだけ言えばと前置きして)両親が優しく愛してくれた。一所 懸命。正直に。人に迷惑をかけない。義理人情の大切さ。時間を守れと教えられた。丁寧に自分を育ててくれたことに感謝している。(父親にどうしてもピアノが欲しいのかと言われて)ピアノはオモチャでない。続けられるなら買ってやると聞かれ、『続けます』と約束した。父親と約束して、一つのことをやっていこうと決心した。しかし、その時はまさか留学して、オペラ歌手になるなんて全く考えてもいなかった。
5)(海外留学について聞かれて)最初の留学はイタリア。親切丁寧でない。時間通り列車は来ない。ことばも習慣も違う生活に翻弄された。
6)(結婚と女児誕生)事故のように結婚しました。「娘を生んだ時、私は死ぬんだ。」と思った。いのちはず―とつながって生きていくんだと実感した。
7)(バングラデシュで子供を見て)本当に生きることが精いっぱいの人を目の前にして、「自分は何が出来るのか」と始めて気付いた。 彼らに「ゾウさんのお歌をうたった。バングラ二はドレミフアもクラシックもない。ゾウさんの歌を歌ったら分かってくれた。
8)(チエルノブイエ原爆事故の被害を受けたベラルーシの子供に歌ってやってくれと言われて)この子供たちは愛が欲しいんだな、と思った。今、そばにいなくても喜ぶ人がいると思うだけで勇気をもらえる。
9)(日本人について)大人になるとはどういうことか。人の痛みを自分の痛みに思えるか。大人になると言うことは、人の痛みを自分のことのように思えることである。今の日本には、一番大事なものがなくなっている。そこを通して始めて世界で働く道筋が見えて来る。自分が犠牲になるということが視野に入ってこない。自分のエゴを満たすための情報収集になっている。本当の幸せとは何かみんなで考え直す時期に来たと思う。感謝しなくなった。「ありがとう」を言わないひとが増えた。
10)80歳のおばあちゃんと話している時の方が楽しい。若い人に話しても分かってくれないことが多くなった。山折先生、これからの日本はどうなるのですか。教えてください。(了)