思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

中国問題、女の子、生の哲学、自他との闘い、教育の核心 (白樺メール公開)

2005-10-21 | メール・往復書簡

以下は、10月16日・17日の「白樺ML」内のやりとりです。

古林です。

「読解力とは、端的に言えば批判力のことである。」、
昨晩の「哲学の会」でのこんな会話で思い出したことが一つ。

姪(中一女の子)が社会科の教師の度重なる中国批判に耐えかねて、
異議申し立てをしました。
『クラスに中国人の子もいるのに、配慮が足りない。それに、(虐殺の)数が問題
なのではない。起きたことが問題なのだ。』と。
その日、仲のいい中国人のCさんと話をしながら帰ってきました。
Cさん:『中国人も国が嘘の写真や大げさな数字を使って大げさに言い
 立てていることは皆知ってる。でも実際にあったことは事実なのだから・・・・
 それに靖国の問題もなんか変。』
姪:『そうだよね。そのことをはっきり言ってる面白い人がオジサンの知り合いにいるよ。』
という会話があって、タケセンのブログを何人かの友達に紹介して広めているそうです。

後日、Cさんからおじいさんの背中の写真を見せてもらったそうです。
旧日本軍兵士から受けた鞭のあとです。
『でも、日本人が皆悪い人というわけではなかった。だから私は日本に住んでいる。』
おじいさんはそう言っているそうです。
姪はこのちょっとした体験を通じて改めて今話題になっている社会問題をとても身近に
感じているようです。

が、教師を含め大人からは、反抗的で問題のある子だと見えているようです。
問題がないわけではありませんが、その内実を見ようとしない大人が多く姪は孤立
するばかり。
そうならぬよう、私が毎週のように実家へ通う日々です。

『○○について自分の考えを客観的に述べよ。』
自分の考えは主観なのだから客観的になど書けないと、テストでは白紙で出してしまう
姪に問題なしとは言いませんが、正統な批判力だけは育ててあげたいと思います。

以上でした。
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古林さん、皆さん。
武田です。

周りからどう見られようと、自分の内なる声に従って生きる。気張らずに自然体で自己のエロースを追求する。他者の評価は他者の評価でしかない。愉しみ・悦びは、自分自身の内なる声ー内なる「よろず神」からしかやってこない。この原理を明晰に自覚しなければ真の人生は始まりません。逆にこれが了解できれば、人間は真に「救われる」というわけです。

面白い人という捉え方では、まだまだ自分自身から逃げている証拠です。自分の心身全体で真正面から受け止めなくては何事も始まらないのです。自分から始まる真の人生は、自己の持つ暗黙の「イデオロギー」を退治しないと永遠にやってきません。
裸の自分を見つめる「勇気」を養うように努力すること、というのが武田からのメッセージです。お伝え下さい。

もしかすると、これをお読みの白樺MLのメンバーは、タケセンは、中学生の女の子に「キツイ」こと言うな~と思われるかも知れませんが、私の生徒にはもっとキツイことを日常的に言っています。存在の中心をしっかりと突かなければ教育は成立しないのです。人間が上っ面のお体裁ではなく、「存在そのもの」として進化するためには、本質的な厳しさが必要です。本質的な「厳しさ」とは、実は奥深い「優しさ」なのですが。

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<武田様>古林です。

丁寧なアドバイスありがとうございます。
お説ごもっとも、です。
自覚できないままに、強固な殻を作り上げてしまった12歳の女の子と
最近、ようやく突っ込んだ話ができるようになりました。
周りをあまりにも気にしなさ過ぎる異様さは自己防衛本能から来たものと
見ていますが、本人には当然のことながら自覚はありません。
真正面から受け止めることをどうやって気づかせようかと頭を抱えています。
環境を変えることと、もっと時間をかけることも必要に感じています。

ただし、中国の問題に関しては、本人自身の内なる声に率直に反応して
行動したようです。タケセンのブログを見ていたらもっと早くに行動していた、
とも本人は言っていました。見せたのは無論私ですが。

取り急ぎ、お礼とコメントでした。
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古林様
武田です。

そうですよ。姪御さんに限らず、女の子の自己防衛の強さは、「ものすごい」ものです。まあ、それが人類を存続させてきたのかもしれませんが(笑)。その自己防衛の強さが、逆に環境に合わせて変幻自在に(いい例がーウソですー小池百合子)自己を変える柔軟さ?にもなるわけです。私も中学生(時に小学生も)の女の子と話すときは、断固として・徹底的に・一歩も引かずにという気力を維持するために、全身疲労困ぱいの闘いになります。合わせているだけなら楽しく気楽でいいのですが、歪みを矯正しようとすると「命がけ」になります。女性という人間の「内なる自然」に挑戦することになるからです。ほどほどにしないと間違いなく死にますよ(笑)。

でも実は、これは、「既成秩序」の刷り込みのせいです。男性中心社会の思想と価値意識を「よく」受容する女性が、自己の内なる心身の発する声との軋轢(あつれき)に悲鳴を上げる「ヒステリー」が、いろいろな意匠で出る、というわけです。だから、理屈主義ではない、ほんとうの哲学(恋知)・思想を強く必要としているのは、女性です。男性は単純に頑固に「会社・組織価値」で生きてしまえる、逆の意味で「哀れな」人が多いですから。

ともあれ「文明社会」というウソが組織化された社会の中でエロースの生を営むには、さまざまな創意工夫、発想の転換、「賭け」、が必要です。

話がそれましたので、戻します。
「中国問題」でこの右翼的な教師と闘うのは、姪御さんにとっても、よいことだと思います。中途半端ではなく、徹底的に闘うことー授業ボイコットを含む断固たる抗議の言動を取る覚悟が必要だと思います。おかしなイデオロギー教育は許さないという意思を示す勇気は、自分と他者への深い愛を育てます。
それにしても非・教育者の中学教師が多いですね。それを許すようなテイタラクな大人が多いからですが。人間、理不尽なものと闘わなくなったらお仕舞です。都知事の石原に代表される国家主義者の思想とほんらいの人間教育とは二律背反です。
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武田様。
古林です。

話を聞いて、納得というより背筋が寒くなりました(笑)。
心して腹をくくらねば。

ありがとうございました。
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このブログの愛読者・中一の古林さんの姪御さん、いつも見てくれて、ありがとう。
なんでもいいですから、感想や意見、異論・反論等々、ぜひメールでお寄せ下さいね。
タケセンの意見、ちょっと厳しいところもありますが、参考にしてみてください。エールを送ります。
メールは、白樺教育館ー武田康弘
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