思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「靖国参拝おおいに結構」への批判的コメントから、「千人のソクラテス」へ。

2005-10-28 | メール・往復書簡

以下は、ブログ「メタフィジカルな気分」のlucienさんの記事=『小泉靖国参拝おおいに結構』に対しての私のコメントと、lucienさんのコメント返しです。

小泉靖国参拝おおいに結構 = lucienさんの記事[ 19:23 ]

靖国神社が日本の英霊を祀る資格がありなおかつ正統的な施設であるのかを保留した限り、小泉総理の靖国神社参拝はおおいに結構なことだ。もし戦没者が禅宗の寺や真言宗の寺に葬られているのであれば、そこに参拝やお参りに行くのにやぶさかではない。クリスチャンの故大平総理も靖国神社に参拝した。
民主党の前原代表は、「A級戦犯が祀られている神社に参拝したことは残念」とコメントしていたのだが、死んでもまだ罪人なのだろうか。絞首刑という罰を受けた死人の罪は消滅し、篤い弔いの対象になると考えるのが日本人なのではないだろうか。前原とは日本人なのだろうか。笑。

中国やら韓国がどうして靖国参拝を批判するのか、もうネタはばれているのだからいくら批判声明や恫喝を繰り返しても効果はない。やりたければ勝手にやればよろしい。なんなら国交を断絶しても良い。だいたい中韓などまったく行きたいとは思わない。

もちろん国際外交とはそんな幼稚な論理で動くものではないだろう。そう、もっと日本は中国を批判するべきなのである。核ミサイルの照準を合わせ、反日教育を熱心にやる中国の行政方針、国家運営を口やかましく批判するべきなのだ。日本はあまりにも人が良すぎやしないか。国際的な常識では、「核ミサイルの照準+反日教育」という事実だけで、日本が核開発に入ったとしてもまっとうな理由になるはずだ。
アメリカなどは、性能の悪いテポドンミサイルが、アラスカやカリフォルニアのほんの一部を射程圏に収めただけで議会で大騒ぎである。

どうして韓国が反日に燃えるのかを検証したサイトがある。

韓国は“なぜ”反日か?

このサイトに書かれていることが全部正確であり、史実に照らして十分に信用できるものなのであるかどうかはわからないのだが、読んでいるとかなり腹が立つことは確かだ。果たしてどうなのだろう。
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[タケセン] [2005/10/18 01:23]
武田です。以下は、以前の私のブログからです。 「国体」という極めて特異なイデオロギーを今日でも堂々と主張し、展示し、宣伝映画を毎日エンドレスで流している靖国「神社」にいつまでも戦没者を「まつって」おくとは一体どういうことなのですか?「答える」ことができる人はいますか? 明治政府が政府側に立った兵士だけをまつるために作った施設、戊辰戦争や西南戦争で「反・政府」の側に立った人間はまつらないという日本の伝統を否定したこの「神社」(国家神道という明治政府が作った新・宗教の総本山)にまつっておくことは根本的な間違いです。現代の日本人は、よほど特殊な人でない限り「靖国思想」に賛同する人はいないはずです。政府は一刻もはやく兵士だけでなく全ての戦没者を鎮魂するための「公共墓苑」の創設に着手しなければいけません。これは現代の政治家の義務です。論を待ちません。


[lucien] [2005/10/18 17:55] [ MyDoblog ]
武田先生こんにちは。確かに靖国神社にまつわる問題点は多いと思います。この問題を扱った先生のブログを読ませていただいた時に、公共墓地を作る必要があると思いました。筋とか理論的にはその通りなのですが、靖国神社に堆積している「歴史性」の重みには、新しい追悼施設はかなわないでしょう。公共墓苑を作っても、そこにお参りに行く人がいるのかどうか疑問です。130年くらい前にかけ間違えられたボタンのまま歴史が降り積もってしまい、戦犯分祀もできず、にっちもさっちも行かない。この問題を解決できるウルトラCを望みます。


[タケセン] [2005/10/19 01:24] [ MyDoblog ]
大丈夫です。
日本人はよくも悪くも一夜にして変われるのです。
論理的に「当然」のことを、愚直に断固として行えば、それでいいのです。それ以外はありません。簡明な話です。後は実行あるのみです。


[lucien] [2005/10/20 20:27]
公共墓地の案は出ては消えてという繰り返しですが、作れるんでしょうか。。
逆に、中韓との取り引きのネタに使えるかもしれません。笑。
靖国参拝やめて公共追悼施設を作るから竹島返せとか。
もしかすると小泉首相はカードを作っているのでは、と思えないこともないです。


[タケセン] [2005/10/20 23:42] [URL]
「天皇教」の呪縛は、凄いのです。
とりわけ現在、70歳以上の人の多くは、この序列宗教(東大病と天皇教はひとつです)から抜けられません。靖国思想はしつこく人の心を縛っています。
靖国=国体思想の廃棄は、われわれ日本人自身がよく・楽しく生きるための条件です。
天皇、靖国、東大、官僚、はひとつの思想です。日本人を個人として自由にさせない=エロースを消去して集団主義に貶めるシンボルです。
多くの人は、このシンボル操作に引っかかって、狭い想念の中で生きています。
わざわざ努力して不幸を選択するのは、ほんとうに愚かです。自由と悦びを共に生み出しましょう!


[lucien] [2005/10/22 11:41]
実存的なもの以前に国体的なものがあるというのは確かに奇形だと思います。実存から国体的なものが生まれるのであれば自然なのですが、たぶん、国体という物語にすがりつく人たちは基本的に「弱い」人たちなんでしょうね。これは自分の内面を見ていればよくわかります。何かにすがりつきたいですから。実存から出発して、何かの意味や物語を創造する才能はまったくないですし。ですから、時代遅れの官僚や東大主義、国体主義みたいな連中の奇形性の本質は、「国体→実存」という転倒なのだと思います。しかし、手っ取り早く「意味」という薬を飲んでしまえば楽なので、これからはそういう人が増えるかも知れません。


[タケセン] [2005/10/25 00:16] [URL]
その通りですね。
いま、私の生徒(社会勉強中のN君と大学生のN君)が、ミクシーというブログで、大胆にも「千人のソクラテス」という名称の(これはサルトルが学生時代に大変な自負をもって仲間たちとそう呼び合っていたようです)「コミュニティー」を立ち上げようとしています(笑)。
合言葉は、情報から思考へ、でしょうかね。
私は、「民知協会」を立ち上げ、各地に支部をつくれたらいいな~、と思っています。
「実存の生」をサポートし合う面白・元気の活動で、日本社会をおおもとから変えてゆくというわけです。


[lucien] [2005/10/25 19:08] [ MyDoblog ]
「情報から思考へ」、
素晴らしいですね。そういう人たちが少しでも増えてくれればわたしだって今の日本に希望が持てるってもんですよ。ちょっとでも考えてみれば、小泉政権はおかしいことに気が付くはずですからね。

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それにしても、「現人神」というおぞましい規定からは外れても、21世紀のいまなお、宗教儀式を生活の中心とする天皇を日本国民統合の象徴とする政治を私は容認しません。容認しない人も大勢いると思いますから、はじめから「象徴」という規定は破綻しているのです。簡明な原理です。


以下は、上記のやりとりを受けて、ブログ「ミクシー」内でおこなわれた対話です。

2005年10月27日
01:02
まきと

大学生のNです(笑)
まだ作ってないですねー。
早く作ります。とりあえずでもイイかなぁ

「実存よりも国体という思想が先立つ」なんとも悲しい話ですね。
大学には実存よりも情報が先立ってる人が多い気がします。。
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2005年10月27日
10:25
タケセン

とりあえずで、どんどこやりましょう!
大学だけでなく、日本中みんな情報中毒ですね~。
自分で「考える」という作業の復活は、道が険しいですよ。
大学教授もみな「省エネ頭」になっていますから。
人間が「感覚ー反射型生物」になったのでは、悦びーエロースが消えてしまいます。
主観性を広げ深める「思考力」のための対話コミュニティ=「千人のソクラテス」、いいですね~。ぜひ。
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2005年10月27日
17:12
aBeBe

いいですねー、「千人のソクラテス」
私もその一人に加わります。

省エネ頭がエライ!?あまーい。
わざと省エネしないのがエライんだっ!!!
電気じゃないんだからね(笑)

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2005年10月28日
09:06
タケセン

教育・マスコミ・政治・権威・・・に誘導されないで、自分の頭で考える人が千人も出たら、日本初の市民革命ですね~(笑)
それにしても「小泉草劇場」に感心しているような日本人では悲しいですね。こんなことでは、また日本ナショナリズム=天皇教=靖国・国体主義、という形式ー儀式が支配する紋切り型の社会に戻ってしまいます。21世紀になっても、未だに「昭和」だ「平成」だという天皇の生死による時間・時代区分をしているよう国ではダメです。
「天皇を中心とした神の国」(森・前首相)!?はもうたくさん、ごめんこうむりたいですね~。
ふつうの人々=私たち民の力で、哲学(恋知)の時代を切り開きましょう!




コメント
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