思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

小泉首相へーー本当の改革とは?(N.O.さんからのメール)

2005-10-22 | メール・往復書簡

以下は、N.O.さんからメールで寄せられた意見です。みなさま、ご検討下さい。

小泉首相へ -本当の改革とは- N.O.

 19日の記者との談話で『覇王の夢(津本陽著)』、『信長の棺(加藤広著)』の織田信長本を読んでいたく感動されたご様子が伝えられています。また、現代の信長などとおだてられると脂下がっている様子がテレビでも度々放映されています。

織田信長の行為で私が評価するのは、比叡山の焼き討ちです。大量殺戮行為だと非難もありますが、比叡山の焼き討ちがなければ寺社勢力の武装解除がなされるのがずっと遅くなっていたことでしょう。いいかえれば戦国時代がもっと長引いたと思います。

さて、小泉首相が織田信長のように本気で時代の針を先に進める気があるのならそれは靖国神社の焼き討ちならぬ解体です!

 税金で給与が支払われていない郵便局員を公務員改革の象徴として無理矢理民営化したあなたなら軍国日本の精神的支柱である靖国神社をそのままにしておくのは道理に合わないと思います。

 その跡地には、国立墓苑や国立の追悼施設などではなく、謝罪反省施設を建てれば良いのです。追悼、鎮魂は各家々で遺族の方々が気の済むようにして頂くようにお願いするしかないと思います。理不尽な殺人にあった方の遺族が正式な謝罪もせず、墓参をさせてくれといっても受け入れないことからも明白でしょう。(心から反省し、謝罪するのは自虐的行為という人たちは、精神構造がまともではないと思います。)
 
そうすれば、自国の行為を謝罪せず正当化する中国や米国が国内から日本を見習えという機運が自ずと高まり、日本が尊敬される国になり真の友好が始まると私は思います。


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仏教教団の靖国思想と侵略戦争加担への反省の現状(民知者・高城久)

2005-10-22 | 日記

以下は、民知者の高城久さんが調べてくれたものです。
( ?出会いと民知宣言(9000字) ?民知ー恋知とは?(1000字) ?民知ー恋知と公共哲学(11000字)をご覧下さい)

真宗大谷派(東本願寺)以外の日本の侵略戦争に加担した罪を反省・自己批判した仏教団体についてネットで調べられる範囲で調べてみました。

■浄土真宗本願寺派(西本願寺)
 浄土真宗本願寺派(西本願寺)は1981年から毎年9月18日に国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑において「全戦没者追悼法要」を勤めている。なぜ、9月18日に行うかといえば、15年にわたる「アジア・太平洋戦争」につながっていった「満州事変」の発端である「柳条湖事件」が1931年に起こったその日だからだそうです。
 1995年4月15日に本願寺で厳修された「終戦50周年全戦没者総追悼法要」において浄土真宗本願寺派大谷光真門主は、「宗祖の教えに背き、仏法の名において戦争に積極的に協力していった過去の事実を、仏祖の御前に慚愧せずにはおれません」と、戦争にかかる責任を明らかにしました。
 2004年5月24日、不二川公勝総長、出口湛龍総務が記者会見を行い、15年にわたる先の戦争に関して発布した「消息」などを「今後これを依用しない」とする「宗令」などを発布したことを発表。
http://www.hongwanji.or.jp/info/general_if/info_040524.htm

■真宗教団連合
 首相、閣僚の靖国神社公式参拝にたびたび要請文を出していますが、中でも2001年8月3日の要請文では、「悲しいことに、かつて私たちもその(宗祖・親鸞の)教えに背き、自己を正当化し、国家が起こした戦争行為を無批判に容認し、多くの人びとを戦地に送り出し、また、諸外国の人びとに言語に絶する惨禍をもたらしました。」と批判の前に自らの懺悔も行っている。
これまでの要請文はこちら
http://www.shin.gr.jp/kyodan/yosei/yindex.html

■臨済宗妙心寺派
 2001年9月27日の臨済宗妙心寺派第100次宗議会の宣言文の中で
「かえりみますと、かつて我が国も聖戦の名のもとに戦争を遂行し、彼我各国に多大の苦痛と損害を与え、たとえ国策とはいえ結果として、戦時の高揚した国民感情の中で、我が宗門が砥柱のごとく反戦を貫くことが出来得ず協力して来たことに対し誠に遺憾に思うものであります。まずこの過去の過ちに対する懺悔と反省の上に立って、諸民族の多様な生活や価値感、信条、宗教を尊重しつつ、日々の教化活動において我が禅門の宗旨を宣揚し、世界の平和のために一層努力しなければなりません。」
http://www.myoshin.com/shuumu/sengen.htm

■曹洞宗
 1992年11月20日、戦前・戦中に宗門が国家権力に迎合し、アジア地域で「日本の文化を強要し、民族の誇りと尊厳性を損なう行為を行ってきた」とアジア諸国に謝罪する宗務総長名の懺謝文(さんじゃもん)(懺悔文)を公表した。

 
 調べた感想としては、一部の方を除いて靖国神社へ合祀の取り下げを訴えていないのには、驚きました。特に真宗系の教団は、現世での死を意味する「往生」とは現世から往き、浄土に生れると解釈されているのに靖国の神様?として祀り上げられている事に抵抗はないのだろうか?と疑問に思います。

 また、特定の政治的イデオロギーを持つ団体と深く結びついた僧侶たちが、過去を懺悔し、不戦の誓いをしても大きな意味がないような気がします。イデオロギーではなく、自身の魂(親鸞はご内仏と言っています)からの声で過去を懺悔し、不戦の誓いをしなければ親鸞の教えに反すると私は思うのですが、如何でしょう?

以上、高城久(10月21日)



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