以下は、
民知者の高城久さんが調べてくれたものです。
(
?出会いと民知宣言(9000字)
?民知ー恋知とは?(1000字)
?民知ー恋知と公共哲学(11000字)をご覧下さい)
真宗大谷派(東本願寺)以外の日本の侵略戦争に加担した罪を反省・自己批判した仏教団体についてネットで調べられる範囲で調べてみました。
■浄土真宗本願寺派(西本願寺)
浄土真宗本願寺派(西本願寺)は1981年から毎年9月18日に国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑において「全戦没者追悼法要」を勤めている。なぜ、9月18日に行うかといえば、15年にわたる「アジア・太平洋戦争」につながっていった「満州事変」の発端である「柳条湖事件」が1931年に起こったその日だからだそうです。
1995年4月15日に本願寺で厳修された「終戦50周年全戦没者総追悼法要」において浄土真宗本願寺派大谷光真門主は、「宗祖の教えに背き、仏法の名において戦争に積極的に協力していった過去の事実を、仏祖の御前に慚愧せずにはおれません」と、戦争にかかる責任を明らかにしました。
2004年5月24日、不二川公勝総長、出口湛龍総務が記者会見を行い、15年にわたる先の戦争に関して発布した「消息」などを「今後これを依用しない」とする「宗令」などを発布したことを発表。
http://www.hongwanji.or.jp/info/general_if/info_040524.htm
■真宗教団連合
首相、閣僚の靖国神社公式参拝にたびたび要請文を出していますが、中でも2001年8月3日の要請文では、「悲しいことに、かつて私たちもその(宗祖・親鸞の)教えに背き、自己を正当化し、国家が起こした戦争行為を無批判に容認し、多くの人びとを戦地に送り出し、また、諸外国の人びとに言語に絶する惨禍をもたらしました。」と批判の前に自らの懺悔も行っている。
これまでの要請文はこちら
http://www.shin.gr.jp/kyodan/yosei/yindex.html
■臨済宗妙心寺派
2001年9月27日の臨済宗妙心寺派第100次宗議会の宣言文の中で
「かえりみますと、かつて我が国も聖戦の名のもとに戦争を遂行し、彼我各国に多大の苦痛と損害を与え、たとえ国策とはいえ結果として、戦時の高揚した国民感情の中で、我が宗門が砥柱のごとく反戦を貫くことが出来得ず協力して来たことに対し誠に遺憾に思うものであります。まずこの過去の過ちに対する懺悔と反省の上に立って、諸民族の多様な生活や価値感、信条、宗教を尊重しつつ、日々の教化活動において我が禅門の宗旨を宣揚し、世界の平和のために一層努力しなければなりません。」
http://www.myoshin.com/shuumu/sengen.htm
■曹洞宗
1992年11月20日、戦前・戦中に宗門が国家権力に迎合し、アジア地域で「日本の文化を強要し、民族の誇りと尊厳性を損なう行為を行ってきた」とアジア諸国に謝罪する宗務総長名の懺謝文(さんじゃもん)(懺悔文)を公表した。
調べた感想としては、
一部の方を除いて靖国神社へ合祀の取り下げを訴えていないのには、驚きました。特に真宗系の教団は、現世での死を意味する「往生」とは現世から往き、浄土に生れると解釈されているのに靖国の神様?として祀り上げられている事に抵抗はないのだろうか?と疑問に思います。 また、特定の政治的イデオロギーを持つ団体と深く結びついた僧侶たちが、過去を懺悔し、不戦の誓いをしても大きな意味がないような気がします。
イデオロギーではなく、自身の魂(親鸞はご内仏と言っています)からの声で過去を懺悔し、不戦の誓いをしなければ親鸞の教えに反すると私は思うのですが、如何でしょう?
以上、高城久(10月21日)