思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

柳兼子さん最晩年(90歳8カ月)のテープ発見!門弟の相川マチさんへのレッスン。奇跡の歌声。

2017-07-02 | 学芸

 去る3月31日に亡くなった松橋桂子さん(大著「柳 兼子伝」著者・作曲家)の遺品(遺族からわたしが頂いた大量の資料)から、たいへんに貴重なテープが見つかりました。奇跡のような録音です。

 柳兼子さんが亡くなる1年前、門弟のプロ歌手・相川マチさんへのレッスンの模様で、1時間近くにわたるものです。デシタル化してCDにしました。音質は明瞭です。

 以下は、添付した解説文です。

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 このレッスン模様は、松橋桂子さんの遺品から発見したテープ(60分)をCD化したものです。1983年1月20日、柳兼子さんが90歳8カ月の時のもので、極めて貴重です。

 レッスンを受けているのは、声楽家の相川マチさんです。彼女は、1970年に兼子さんの講演と歌に驚愕・感動してレッスンを希望しますが、すでにプロの歌手であった相川さんは簡単には弟子入りを許されず、週のレッスン日に二カ月間通い続けてようやく許可されました。兼子さんのレッスンは、誰でも同じでゼロからの出発、呼吸と間、発声練習から、とのことです。

 レッスンは、平井康三郎の3曲(「平城山」、「甲斐の狭」、「九十九里浜」)と、松橋桂子さんの「山羊」です。それに「金魚や」(杉山長谷夫作曲)の歌い方とそれに付随する話。

 松橋桂子さんと相川マチさんは共に1934年生まれの友人(「縁」は兼子さん)で、このテープのレッスン時は48歳でした。

 場所は、兼子さんの自宅・町田市 真光寺町 1356-7。
 ピアノ伴奏は、木下美智子さん。

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 インデックス番は、冒頭の柳兼子さんの手本からはじまり、しばしば、相川さんと共に歌いますが、それは、兼子さんの音楽イデー(意味の把握)と境地を開示したものです。わたしは、感動で鳥肌が立ちました。

 松橋桂子さんが録音したプライベートテープは、期せずして日本声楽史の一頂点を記録したものとなりました。

  なお、この録音は、前半は左チャンネルしか音声が入らないことが多いので、右チャンネルにも同じ音声を入れモノラルにしました。音質自体はとてもクリアーで、大型の優れたオーディオ装置で聴くと、まるでその場に臨んでいるかのようです。

  洋楽の声楽ではなく、日本の歌の歌い方(「声楽の日本の歌」)がよく分かります。ぜひ繰り返し聴いてみてください。


 武田康弘

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日本の伝統を大事にするならば、天皇家は、江戸城という他者の住まいではなく、京都御所に住まうのがほんとうです。

2017-07-02 | 学芸

 

これは、当たり前のことで、今さら言う必要もないのでしょうが、

明治維新の革命家(伊藤や山県ら)により、まだ16歳の睦仁は、京都御所から江戸城に連れて来られ、彼らの教育で「明治天皇」として仕立てられたわけですが、それから150年が経とうといている今もなお、天皇は、天皇家とは何の関係もない江戸城に住まわされています。

もしも、日本の悠久の歴史を重んじるならば、京都御所に戻り(し)そこで文化的な象徴として政治=国事行為からは自由になり、長い歴史に見合う生活をされるのがよいのは、理の当然でしょう。

なぜ、いつまでも明治維新の思想=日本の伝統を破壊してつくった天皇を生きた神とする国家カルトを引きずるのでしょうか。天皇の死で時代名を変え、時間を支配するという古代王政の「元号制度」を世界でただ一カ国続けるのが異常なことであるのが分からないのは、不思議です。

文化的な象徴を天皇とし、元首は大統領を選び、実際上の政治は首相が担うという三元の国づくりをすれば、日本の伝統と世界的な普遍性を共に満足させられます。

他人の住まいにいつまでも住まう、住まわせるというのは、道徳的にも悪いことですし、日本の伝統を壊すことです。

 

武田康弘

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