11日の「東京新聞」夕刊に、今日、読まれるべき古典として、武者小路実篤の戯曲「ある青年の夢」が詳しく紹介されていました。これは、親友の志賀直哉や柳宗悦らに誘われて我孫子に移住した年、1916年に出されたものです(移住は12月)。戦争の愚かさと悲惨と戦争回避のための考察がなされていますが、それから26年後の1942年に書かれた「大東亜戦争私感」では、戦争賛美一色になりました。この大東亜戦争賛美論は、新潮社の全集からは削除されていましたが、小学館の全集では15巻にすべて掲載されています(361ページ~414ページ)。
なぜ、武者小路実篤が、これほど激しく転向したのか? 「おめでたき人」を地でいったわけですが、彼一人の問題ではなく、日本の二大哲学者と言われた西田幾多郎も田辺元も みな戦争肯定=天皇絶対主義になったわけを深く研究しなければ、「日本の精神の病」は治せないのではないでしょうか。わたしたちみなの問題と思います。
『大東亜戦争戦争私感』には、
大東亜共栄圏とは実によい言葉だと書かれ、「死に克つもの」では、積極的に美しい死の肯定ー尽忠報国の精神に燃えるが故に死を恐れなくなるのだ、とされます。
「日本はなぜ強いか」では、これは日本の国体の御かげである。天皇陛下の国民全部は、臣民として、心から奉仕することで、我らは心を一つにしている。と書かれています。
日本が勝利を得ることの他は考えられない。だから陸海軍に任せて、僕らは安心していられる。・・大事なのは一億一心である。銃後の統一である。ーーーー
このような言葉が延々と続きます。
以下は、「東京新聞」7月11日夕刊
武田康弘(「白樺文学館」全コンセプト作成・初代館長)