思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

自分の都合や損得や気分を中心に動いているあなたは、結局、不幸な人生です。唯我独尊のほんとうの意味。

2017-07-08 | 恋知(哲学)

あなたは、自分の都合だけで動いていませんか。
あなたは、自分の損得計算ばかりで(身体化してしまっているので無自覚)動いていませんか。
あなたは、自分の気分だけで動いていませんか。
あなたは、狭い自分=自我中心で生きていませんか。

どういう人がそうなのか?
分かりやすい例では、自分が主賓者でもないのに、集合写真で真ん中に写りたい人です(笑・ホントウ)。

自分ばかりが笑顔でいたい、自分ばかりが気分よくいたい、自分が目立ちたい、という自我主義。自我中心の生き方は、みなに好かれません。誰からも愛されません。
反対に、謙譲の美徳とか言い、いつも隠れるようにしている人も、コインの裏表で、同じくつまらない人、魅力のない人です。

ブッダのいう天上天下唯我独尊とは、共に正反対です。
自己を灯とし、自己に帰依するとは、自我を灯とし、自我に帰依するのとは逆です。

あなたをよろこばせたい、あなたに親切にしたい、あなたを笑顔にしたい、あなたにサービスしたい、あなたの困った問題を解決したい、というわたしの思いと考えと行為が、よろこびや楽しさのある自分をつくり、深く大きな自分をつくるのです。自我中心ではなく、あなたを思い、考えることは、普遍性=みなにつながる考えかたと生きかたです。将棋盤を反対側から眺める視点・心がないと、自我の虜です。

唯我独尊、自帰依=法帰依とは、自我への拘りを超え、ほんとうに自由になったわたしを信頼し、わたしにつく人生です。自我への拘りとは、実は、世間の価値意識への呪縛から生まれるのです。そこから解放されるには、何がほんとうかを求める心とともに、あなたのためを考える心と実践が求められます。

自分中心でしか生きられない人は、いくら勉強してもどこかピンボケで核心を外し、いくら経験を積んでも説得力をもたず、人から愛されませんが、それは、自我中心が血肉化してしまい、そこから出られないからです。自己謙遜も同じこと。善美に憧れる自分の心を中心軸として生きる」ことと、「他者への思いや愛」はセットです。豊かな愛情あふれる心や気遣いが、自分という精神の中心を明瞭にし強くします。

あなたは、あなたをよく知る人から、好かれ、信頼され、愛されていますか?



武田康弘

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