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芥川龍之介に疲れたので、ジョン・ボイト主演、コンチャロフスキー監督の「暴走機関車」を観る。二人の荒くれ脱獄囚がある機関車に乗って逃げようとするのだが、機関士が急死し緊急停止装置も焼き切れた機関車はスピードをあげながら全く止まらない。実は機関車にはたまたま居眠りしていた機関助士の女の子が乗り合わせており、一方、脱獄囚を三年間独房に閉じこめていた冷酷な監獄の所長はヘリコプターで機関車を追う。停止手段を失った鉄道会社は、機関車を廃線に追い込み救出を諦める。そんな彼らにとって自由とは何か?暴走機関車はそのままアラスカの雪原を突き進む。
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鑑賞後のわたくし
認識を得ようと思うならば、相手の眉間を割り自分の眉間も割らなければならない。そんなことを想い出させてくれる物語。黒澤の脚本であるとかないとかはこの際どうでもよいことである。「獣にも憐れみの心はあるが、私には それがない。ゆえに 私は、獣ですらない」(シェークスピア 「リチャード3世」)最後のこの引用もよかった。