国語研究室の送別会でした。私は近代文学の学徒らしく中原中也の詩を以て皆さんを送ろうと思います。
さよなら、さよなら!
いろいろお世話になりました
いろいろお世話になりましたねえ
いろいろお世話になりました
さよなら、さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に
さよなら、さよなら!
僕、午睡の夢から覚めてみると
みなさん家を空けておいでだつた
あの時を妙に思ひ出します
さよなら、さよなら!
そして明日の今頃は
長の年月見馴れてる
故郷の土をば見てゐるのです
さよなら、さよなら!
あなたはそんなにパラソルを振る
僕にはあんまり眩しいのです
あなたはそんなにパラソルを振る
さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!
……中也はここから実にしつこい。後半は妙な展開を見せる。
4
何か、僕に、食べさして下さい。
何か、僕に、食べさして下さい。
きんとんでもよい、何でもよい、
何か、僕に食べさして下さい。
いいえ、これは、僕の無理だ、
こんなに、野道を歩いてゐながら
野道に、食物、ありはしない。
ありません、ありはしません!
5
向ふに、水車が、見えてゐます、
苔むした、小屋の傍、
ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
僕は一人で、行けます、行けます、
僕は、何を云つてるのでせう
いいえ、僕とて文明人らしく
もつと、他の話も、すれば出来た
いいえ、やつぱり、出来ません出来ません。
……思うに、我々が生きている世界の特徴の一つは、今生の別れが容易にできなくなっていることではなかろうか。坂口安吾のいう「突き放される」経験が必要だ。たくさん勉強させられたからそれなりに充実していたかも知れないが、その意味は良く悪くもでたらめに後に響く。その響きを踏み倒していくことも必要だ。私もそんな時期にさしかかっているから、まことに同情を禁じ得ない。