
双葉社の『過ぎし江戸の面影』を眺めながら、ポポフの交響曲第1番を聴く。プロヴァトロフとモスクワ国立交響楽団。人民の敵=形式主義者時代(笑)の作品。ソ連で演奏禁止を喰らった作品であるそうだ。この曲に対抗心を燃やしたショスタコーヴィチが第4交響曲を書き、これも理由はよく分からんが引っ込めてしまったのは有名な話であろう。ソ連の文化官僚の皆さんが、ここに煮えたぎる革命的ななにか(なにかがなになのかは分からんが……)を聴きとれないのはいけないねえ。あ、聴き取れたから禁止したのか。革命のあとに革命をやろうとしちゃいけないからなっ。(ついでに人民の友時代の第2番も聴いてみたが、所々同じような、なにものかの響きがしてるではないか。
第三楽章の、スクリアビン的フィナーレの盛り上がりのなかに、木琴がぴんぽこぴんぽこぽん入ってくるのがすばらしいなあ。この木琴のとこだけやってみたい。
『過ぎし江戸の面影』は、幕末に日本を訪れた外国人の言葉とかを引きながら、江戸末期の写真に色を付けたものが並んでいる。私は、ものを外側からみりゃ客観視できるという発想は自己慰撫的であると思うので、好まない(笑)「裸体への無頓着さ」(82頁~)とか「驚愕の遊郭」(104頁~)とか、ここらへんを言いたかっただけちゃうんかと……。