政府か何かの脅迫に屈し、というか、なんか勝手に工事が始まったんだが……地上波デジタル放送の工事が終わって、さっそくつないでみた。
画面がでかいっ、クリアすぎて、アナウンサーの細胞まで見えたっ。
ああびっくりした……
思うに、白黒テレビの時代、いくら女優が美人だと言っても、ほんものよりはかなり不鮮明だったし、映画館に行っても、今度は高峰秀子がゴジラ並みに巨大だったりして、本物はさぞ……という感じだったに違いない。対して鏡で見る自分の醜悪な顔の方がかなりリアルであった。映像の美が形而上的な何かを喚起していたのに対し、我々の顔は単に現実であったから比較しても意味はなかった。しかし、果たして今の時代、デジタル画像の方が、鏡の中の自分の映像と同等、あるいは高い解像度があるのではなかろうか。あまりデジタル画像で整った顔ばかり見ていると、自分の顔が怖くてみられなくなる日も近いっ。もうこうなったら自分の顔もデジタル処理できるような技術を開発するしかない。

↑
自分の顔を鏡で瞥見し続けて××年の渡邊史郎
ときどき、自分の顔をきちんと見てから偉そうなことを抜かすべきであると反省させられた地デジ導入であった。
結論:この調子では、私の好きな教育テレビの昆虫番組は怖くて観られない。観たら確実に、グロテスクな映像で失神する。
画面がでかいっ、クリアすぎて、アナウンサーの細胞まで見えたっ。
ああびっくりした……
思うに、白黒テレビの時代、いくら女優が美人だと言っても、ほんものよりはかなり不鮮明だったし、映画館に行っても、今度は高峰秀子がゴジラ並みに巨大だったりして、本物はさぞ……という感じだったに違いない。対して鏡で見る自分の醜悪な顔の方がかなりリアルであった。映像の美が形而上的な何かを喚起していたのに対し、我々の顔は単に現実であったから比較しても意味はなかった。しかし、果たして今の時代、デジタル画像の方が、鏡の中の自分の映像と同等、あるいは高い解像度があるのではなかろうか。あまりデジタル画像で整った顔ばかり見ていると、自分の顔が怖くてみられなくなる日も近いっ。もうこうなったら自分の顔もデジタル処理できるような技術を開発するしかない。

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自分の顔を鏡で瞥見し続けて××年の渡邊史郎
ときどき、自分の顔をきちんと見てから偉そうなことを抜かすべきであると反省させられた地デジ導入であった。
結論:この調子では、私の好きな教育テレビの昆虫番組は怖くて観られない。観たら確実に、グロテスクな映像で失神する。