★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

勢い宛ら猛虎を駈って、群羊を屠るに似たる

2019-11-16 22:02:11 | 文学


大喝一声閃かす、鎗の刃尖は地上の電光、瞬間に件の賊の、腋下ぐさと突き伏せて、裡面に知らする声高やかに、
「犬田も主人も驚くべからず。犬川荘介こゝにあり。面亭の賊は俺咸殺さん、背門に用心せよかし」


また隠れてたのか犬野郎は。

勢い宛ら猛虎を駈って、群羊を屠るに似たる、向こうに前なき武勇の剽姚、克うべくもあらざれば、賊徒は怕れて辟易しつゝ、あれよあれよ、とばかりに、撃たるゝ者ぞ多かりける。

羊の群れが1000%かわいそうではある。まあ、群羊が畜群のことだと思えばいいとおもう。

城戸「俺が間違っていた。あんたもただの犬だ」
山下「ああ、俺は犬だ。30年間、体を張ってこの町を守ってきた犬だ」
城戸「この町はもうとっくに死んでいる。死んでいる者を殺して何の罪になるというんだ」
山下「ふざけるな。お前のような奴に人を殺す権利などあるもんか。お前が殺していいたった一人の人間はお前自身だ。お前が一番殺したがっている人間はお前自身だ。死ね。地獄へ落ちろ」


――「太陽を盗んだ男」


ここでも犬が饒舌であるが、まだ三〇年間体を張ってきた自信がせりふに迫力を与える。三〇年間ということは、この映画の時間で言えば、1949年ぐらいからである。この年は、映画「野良犬」の年である。アメリカの犬になりかけの国家の中の野良犬。「太陽を盗んだ男」の最初の方に「ウルトラマンレオ」の主題歌が流れるところがあるが、このウルトラマンも何のために戦っているのか最後までよくわからないままであった。「君の番」だと言われても何の番なのか、主人公の理科の教師は天皇よりも国家権力(犬)よりも強いものを創ることを自己目的化させて生きた。この物語は、ほら吹き話というより「現実的」な物語だというべきなのだが、それは我が国が思い切り頬をぶたれた後の夢心地にあるからであった。而して、我が国では壮大なほらはつきにくくなった。もう既に夢の中にいるので……。

かんがえてみると、城戸も山下もただ「犬」と言っているからいけないのだ。馬琴は「犬のいろいろ」を描いている。花▽×輝は「虚いりみだれて」で、保田與重郎や三浦義一を八犬士に喩えて面白がっていたが、確かにその面白がりかたには一理あった。まだ、犬の種類があった時代には可能性があったのだ。可能性の中に、敗戦があっただけである。