ゲルギエフがマリンスキー引き連れて松田華音さんと一緒に高松公演をするというので、今日は聴きに行ってきました。
松田さんは高松出身なのだ。六歳で露西亜に行き、数年前にしらんうちにドイツグラモフォンからデビューしていた……すごい……
ゲルギエフは、世界最高の指揮者だとわたくしは思うのであるが、わたくしがロシア音楽が世界一だと思うからでもあって、ゲルギエフのシチェドリンやプロコフィエフ、ストラビンスキーはいつ聴いても血圧上昇する。マリンスキー劇場のケーケストラとゲルギエフの組合せはたしか、プロコフィエフの2番のCDで初めて聴いたけど、やぱり後年の「春の祭典」の印象が強烈であった。最後の一発が、「北斗の拳」の悪者たちが斃れる時の音みたいであった。とにかく劇画みたいな音楽なのである。
最近のブルックナーとかを聴くと、なんだか弦楽主体の新境地に突入した気がしていたので、今日は期待して聴きに行った。高松に来るのはたぶんこれからも珍しいことであろう。もうこの機会を逃すと簡単には聴けないかもしれないお人である。
最初は、シチェドリンの 「お茶目なチャストゥーシュカ」で、よっぱらったデュークエリントンみたいな曲調から初めて、次第に行進曲風になってゆき、タンニングの練習かみたいなかんじで終わる。はあ、プロはウマイナア
二曲目は、華音さんのチェイコフスキーの第1コンチェルトである。ホルンの出だしの下降音って、解説にも書いてあったけど、確かに、その後出てこない気がするな……。華音さんのピアノは、小型のおしゃれな車をぴゅんぴゅん飛ばしている感じであった。ゲルギエフとマリンスキーもそれにあわせて余り強烈な音をださなかった。カラヤンとか、リヒテルに喧嘩売ってるようなでかい音だしおって……。なんだろう、この安定感は、さすが華音様。
三曲目は、ショスタコーヴィチの5番。いままでわたくしはゲルギエフとショスタコービチはなんとなく相性が悪いのかなと思っていた。しかし実演で聴くと俄然面白いではないかっ。特に第三楽章はとても美しかった。確かにこの曲って、第三楽章が20世紀最高の美しさなのである(個人の断定です)。精神の悲鳴のような音楽なのに。ゲルギエフは、楽章間に殆ど間を空けなかったがこれもよかった。第四楽章の冒頭なんて、本当は第三楽章の最後でもあるのである。今日の演奏でびっくりしたのは、バスドラム。あまりにでかい音に、一瞬「春の祭典」かと思った。しかし、これでいいのかもしれない。タコさんの音楽は、新たな楽器が入ってくるときには場面が変わる。そういえば、今日はハープの音が結構大きく聞こえたのだが、確かに、ハープとともに曲の風景が変わるのだ。CDだとここまでの風景の変化は分からない。第4番までの、あからさまな場面転換の面白さを狙った音楽の延長にありながら、場面転換を自然に有機的に連続させることをオーケストレーションでやってのけているのであろう。そのことで、場面転換は、音楽の表面的な変化ではなく、作曲者の内面の変化に感じられるのでした。そんな感想を持ちました……。
マリンスキーの弦楽器セクションってすごくよい。ここまでいい音とは思わなかった。すごい!