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弥疾く出す霊玉の、護身嚢を刺翳せば、至宝の霊験愆たず、颯と濆走る、光に撲たれし妙椿は、苦と叫ぶ、声共侶に閨衣は、そが儘親兵衛が手に残りて、那身は裳脱て楼上より、庭へ閃りて墜つる折、と見れば妙椿が身の内より、一朶の黒気涌出して、鬼燐に似たる青光あり、見る間に西へ靡きつゝ、消えて跡なくなりにけり。
悟空でさえ、自分の手のひらから光を出すというに、霊玉から光線出すとは卑怯なり。負けじと、やられた妙椿も青光を出してしまった。
『ドラゴンボール』のかめはめ波。自分にもできそうな気がするけど、本当にできる?
http://web.kusokagaku.co.jp/articles/561
柳田理科雄先生が、かめはめ波は本当に打てるのか、とか説明している。柳田先生は、屡々、かめはめ波は本当に打てますか、という質問を子どもから受けるそうである。そんなお馬鹿な子どもを相手にしていてどうするんだという気がするが、――大嘗祭で五穀豊穣を願っている我々である。大嘗祭なんていうのは、天皇が元気玉を集めているような感じの行事なのだ。而して、「ドラゴンボール」で八〇年代九〇年代の子どもたちがどれだけ生きる勇気を与えられたかの方が重要である。上の質問は、質問自体が、大嘗祭って何となく面白いよね、みたいな意見と全く同じで、発話自体が興奮剤なのだ。
「八犬伝」は確かに、一頁に一〇カ所ぐらいツッコミどころのある話であるが、七犬士が揃ってチャンバラをやっている頃からやや飽きが来ていたことは確かだ。ここで、神になった伏姫に育てられた少年が颯爽と卑怯な光線玉を持って現れたのだから、読んでいる方は勇気百倍、明日も頑張って商売繁盛である。
いや、これは卑怯ではない。いつものように剣で斬り殺したりはしない新たな戦争の方法なのだ。――大いに問題である。しかも行き当たりばったりではなく、里見家のためにはじめから活躍である。
一体、親兵衛は少年というよりは幼年というが可なるほどの最年少者であって、豪傑として描出するには年齢上無理がある。勢い霊玉の奇特や伏姫神の神助がやたらと出るので、親兵衛武勇談はややもすれば伏姫霊験記になる。他の犬士の物語と比べて人間味が著しく稀薄であるが、殊に京都の物語は巽風・於菟子の一節を除いては極めて空虚な少年武勇伝である。
本来『八犬伝』は百七十一回の八犬具足を以て終結と見るが当然である。馬琴が聖嘆の七十回本『水滸伝』を難じて、『水滸』の豪傑がもし方臘を伐って宋朝に功を立てる後談がなかったら、『水滸伝』はただの山賊物語となってしまうと論じた筆法をそのまま適用すると、『八犬伝』も八犬具足で終って両管領との大戦争に及ばなかったらやはりただの浮浪物語であって馬琴の小説観からは恐らく有終の美を成さざる憾みがあろう。そういう道学的小説観は今日ではもはや問題にならないが、為永春水輩でさえが貞操や家庭の団欒の教師を保護色とした時代に、馬琴ともあるものがただの浮浪生活を描いたのでは少なくも愛読者たる士君子に対して申訳が立たないから、勲功記を加えて以て完璧たらしめたのであろう。
――内田魯庵「八犬伝談余」
わたくしは決してそうは思わないのであるが、馬琴はどこかで、水滸伝もなんだか山賊物語どころか、機械的ななにものかなんじゃねえかな、と思っていたのではなかろうか。我々の労働そのものがそういうものになりかけていたからである。馬琴にとっても長篇の労働がそういう感覚を呼び起こす。そうなったら、お祭りである。霊験の光である。「神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。」である。