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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

異常なエピソードの有効性

2022-03-19 23:46:24 | 思想


嚮使蛭牙公子若能移翫悪之心専行孝徳。則流血出瓫抽笋躍魚之感。軼孟丁之輩馳蒸蒸美。移干忠義則折檻壤疎出肝割心之操。踰比弘之類流諤諤譽。

孝徳のエピソードは、流血出瓫抽笋躍魚、とさらっと書いているが、異常なものばかりである。高柴が父が死んだら3年も血の涙を流した件。郭巨が母に孝行しすぎて黄金の釜を掘りあてた件。孟宗の願いで真冬に筍が生えた件。王祥のために鯉が氷の中から飛び出した件、である。忠義に関しては、折檻壤疎出肝割心、である。朱雲が帝を欄干をへし折って諫めた件。師経が琴で窓を壊して主君を諫めた件。弘演が主君の死を悼んで自分の肝をとりだした件。比干が主君を諫めて心臓をとられた件。

思うに、孝行は奇跡を生み、忠義は暴力を生むという感じである。――確かに、親孝行というのは果てしなく根気の要るものであって、なんだか親子共々この世ならぬものがみえてきてしまうところはある。で、忠義はそういう根気は否定されている。逆らったらコロされる様な関係なので、主君と部下はコロされるかコロされるかみたいなことになる。

しかしまあ、こういう異常事態をはてしなく並べ立てなければいけないのはなぜであろう?この説教を食らっているボンクラが、少年ジャンプ並の「なんかすげえ」という部分に激しく反応してしまうと思われているからではなかろうか。しかし、バカにしたもんでもなく、人間、倫理以前になんかすげえみたいな感覚に引き摺られている部分は大きい。カントやらなにやらが崇高の概念に理性をくっつけようと躍起になっていた?が、たぶんそううまくはいかない。

源氏物語や平家物語を読んだ外国の方が「この人たちなんか恐えな」と思うのと同じように、「戦争と平和」や「罪と罰」を読んだ我々は、うわっ何じゃこりゃと思うわけだが、それは思考の出発点に過ぎない。しかしこの印象というのは、その実、空海が繰り出している説教の「なんかすげえな」と同じようなものである。もっとも源氏から「罪と罰」までのそれらがテキストであることで、我々は忠義や孝行を人間的な行為として考えることが可能なのであった。その証拠に、上の先生も、このあと、書物を読め、と執拗に主張する。「なんかすげえ」をテキストの議論に移行させようと躍起なのだ。

しかし、――我々の世界は、テキストよりも大きい「なんかすげえ」を所持するようになった。それが科学であり、正確に言えば、科学的な「物象」である。有名なのは「核爆弾」である。昨今の大国は利益のありそうで安全なときだけ他国に介入する。今回のウクライナの場合は、利益よりも損害が大きそう(つまり核戦争になり得る)なので穏便にウクライナがロシアとくっつくことを西洋世界なんかは願っているのはなかろうか。まったく、強い国というのはいつもそのていどの利己的な恐ろしさを許されている。核爆弾というのは確かに抑止力になっていて、お互いの牽制としての抑止、と同時に自分が動かない理由として使うこともできるわけであった。核爆弾は、むしろ核以外の軍事を各国自らの安全立命のために動かす様に仕向けている。だからそれは各国の「利己」ではない。むしろ爆弾の延長としての自己意識に過ぎないのではなかろうか。

われわれは、既に人間的な行為や空想的な行為で人を動かすことが出来なくなってしまったような気がする。つまり主体ではないのである。理念のための戦争はありえない。

昨日、Future Earth 日本サミット2022の全体セッションをオンラインで聞いた。斎藤幸平氏と蟹江憲史氏がSDGsに関して意見を戦わせていた。人新世は確かに人の作り出した世紀なのだが、それによって出現した状態は、人間によってもとに戻せるかは分からない。本当は、社会主義革命だってそうだったのである。今回のロシアの行動は、ソ連というのがまだ終わっていないことを示している。一応、理性の所業としてはじめたことを理性によって制御することはできない。原子爆弾で日本を黙らせたことのある世界は、それを理性的な判断として納得しようとしたが、結局それを諦めた。それは理性の狡知なのだろうか。どうみてもそう思えないし、ソ連の亡霊も物質化した亡霊であってこれからこれによっていまだに我々は動かされる。――このようなことを主張するためには説教でも小説でもうまくいかない気がすることは確かである。無理やりやろうとすると、ナショナリズムやヒューマニズムになってしまう。大江や村上の文學は一応それに挑んでいると思うんだが、テキストや人間よりも大きいものをテキストや人間らしく描いてしまう循環にとらわれているように思われる。