★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

光源としての子ども

2024-01-04 03:10:11 | 文学


少しいたらぬことにも、御たましひの深くおはして、らうらうじうしなし給ひける御根性にて、帝幼くおはしまして、人々に、「遊びものども参らせよ。」と仰せられければ、さまざま、金・銀・など心を尽くして、いかなることをがなと、風流をし出でて、持て参り合ひたるに、この殿は、こまつぶり、むらごの緒つけて奉り給へりければ、「あやしのもののさまや。こは何ぞ。」と問はせ給うければ、「しかしかのものになむ。」と申し、「回して御覧じおはしませ。興あるものになむ。」と申されければ、南殿に出でさせおはしまして、回させ給ふに、いと広き殿のうちに、残らずくるべき歩けば、いみじう興ぜさせ給ひて、これをのみ常に御覧じあそばせ給へば、ことものどもは籠められにけり。

帝が「南殿に出でさせおはしまして、回させ給ふに、いと広き殿のうちに、残らずくるべき歩けば」というところがいいし、「これをのみ常に」遊ぶようになったところが思わずこちらもにやけてしまい、行成の魂がよいとかはちょっとどうでもいい感じである。かように、子どもは大人の魂も赫かす。それが天皇ならばなおさらというところで、光源氏なんかも、結局、帝と桐壺を赫かしているところがあるのである。ところが、彼は光り輝く紫の上なんかを所有したにもかかわらず、自らを赫かせる子どもが彼女との間には生じず、他の人との子どもは帝になり、父親として彼を赫かせなければならない。つねに光源であることを宿命づけられている悲惨さがあった。

己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。天下に一人のそれを理解してくれる人がなくたって、己はそれに安んじなくてはならない。それに安んじて恬然としていなくてはならない。

――森鴎外『余興』


これは彼だから言えることであって、普通は誰かに照らされてようやく感情を生じさせるのが我々であった。

「なんぢを訴ふる者とともに途に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴ふる者なんぢを審判人にわたし、審判人は下役にわたし、遂になんぢは獄に入れられん。誠に、なんぢに告ぐ、一厘も残りなく償はずば、其処をいづること能はじ。」入院中バイプルだけ読んでゐた。それについて、いろいろ話したきことございます。私の完全な孤独を信用せよ。


――太宰治「HUMAN LOST」


ここらになると、無理やりな孤独は自分にも堪えられないし、他人も太宰を孤独にはしておかなかった。

正月やお盆の時期には、親戚の強制的な集まりを殲滅せよという阿鼻叫喚がネット上にあふれかえっているが、本当にいやなら田舎に帰るのを断固やめればよいし、大学院生なんかは援助を受けていたとしても時間の無駄だとおもったら十年ぐらい実家を断つぐらいのことは必要だ。あとたぶん、親戚との席上で延々マルクスとか龍樹の話を何年かしてれば呼ばれなくなるんじゃないだろうか。たぶん、未婚率が高くなって結婚しているのが少数派になった一族は自然に集まらなくなる。ああいう集まりはその実、小さい子どもの存在に依存している側面がある。上のような子どもによる照り返しは集団の最後の頼みなのである。

これは本質的なことであった。親戚のなかで子どもがわらわらと多いと、おっさんたちにも下劣さに歯止めがかかるし、女性が食事の用意をさせられていたとしても子どもを子分に使う嚮導作業となったりするわけだ。当の子どもにとっても、親戚の人間と会うことは世の中を知る結構いい勉強になっていたはずで、その勉強モードに大人も知らずに乗っていたところがあったかもしれない。それが最近は、少数の子どもは特にお客様あつかいとなり、心理的に、大人達が大人達の関係に集中する暇が出来てしまっている。

それに爺婆の威厳が昔は全然違う。彼らは、戦争戦後と、一族を救った人たちだった。どの集団にもだめな奴はいるので、それを抑圧する強い奴がいないとカオスになりがちなのは当然である。普段から近所同士でお茶会をやっててみたいな時代と違い、慣れない飲み会で、圧倒的な存在がいない状態ではついマウントの取り合いみたいな状態になる。結局、会社や教室で起こっていることがそのまま親戚集まりでも出現しがちなんじゃないだろうか。そんな地獄を若い人たちの一部は、価値観の古さに帰したがるであろうが、昔の人たちが価値観と惰性だけでそういうのを続けられてきたわけがない。

お盆とか正月に行われていた一族再会の儀式は、親戚づきあいとかいう簡単なものではなかったはずだ。子どもにとっては、自分の家族にはいない、例えば天才的な頭脳とか、障害者とか引き籠もりのおじさんとか実際過去が怖そうなおじさんとかと、接触する機会であった。そもそも、家族関係が簡単ではない。母親違いの子ども、養子などが入り交じる空間であって、そういうところでの気の遣い方みたいなものは自然と体感されるものだ。それらは、今風の、家族の絆とかいうそういう甘いものではなかったし、家父長制の権力の発動みたいなもので説明しきれるものでもなかったと思う。

また、たぶん親戚の集まりみたいなものを、平板な絆の強制みたいなものに変えてしまったのは、少子化もあるだろうが、一番厄介だったのは、子どもの進学問題であろう。これほど分かりやすい差別化はなくて、ほんとこれでお互いの関係がおかしくなった一族は多かろう。本人達もこれに自覚的で、高学歴なんかは表面上おだてられたりする一方、わけがわからない大学院生なんかは嫌われるし、嫌われた側は相手を馬鹿にするし、というスパイラルが進行してしまうのである。一族で博士が出たぞやつにいざとなったら頼るぞ、みたいな感じで重宝がられた人もかつてはいたが、最近は頼りにならんのはもちろん、そこそこそういう博士とやらの存在も珍しくなく、逆に金がかかる変わった人に顛落してしまった。

そういえば、ワイドショーなんかは、これは昔近所でやってたお茶会の代わりであろう。近所で漬け物とお茶で延々芸能と政治についておしゃべりをあれをテレビの画面と視聴者がやっているのである。画面に現れるワイプなんかは車座になって顔色を窺いながら雑談をするスタイルに近い。知的にもその雑談のレベルを保っている。スタジオの人数と視聴者をあわせた人数もだいたい昔の井戸端会議と一緒だ。

むろん、東京のスタジオに操られた井戸端会議はもう完全に別物である。しかし我々の意識はそうは思わないのである。


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