私の大学院後半からの課題は、ひたすら、抽象的に見えるものを具体的な文脈に翻訳することだったと思う。大学院前半での形式化への反省によってそうなった。ただ、ややそれをやりすぎた結果、ただの経験的な問題しか論じられなくなってきていることも確かである。
時代とか、環境とか、引用とか、そんなところに還元していくやり方の底のない恐ろしさを知らないものは、多文化主義とかなにやらでひたすら突き進んで頂ければいいのだが、……退屈に思えてきた。もともと私が考えようとしていた問題をすこし想い出してみる必要がありそうだ。文学的な言い方になるが、過剰な情熱を持つ人間は観念的ではなく形式的である──この問題である。
時代とか、環境とか、引用とか、そんなところに還元していくやり方の底のない恐ろしさを知らないものは、多文化主義とかなにやらでひたすら突き進んで頂ければいいのだが、……退屈に思えてきた。もともと私が考えようとしていた問題をすこし想い出してみる必要がありそうだ。文学的な言い方になるが、過剰な情熱を持つ人間は観念的ではなく形式的である──この問題である。