前望舒役先駆兮
後飛廉役奔属
鸞凰為余先戒兮
雷師告余以未具
吾令鳳鳥飛黱兮
継之以日夜
瓢風屯其相離兮
師雲霓而来御
紛総総其離合兮
斑陸離其上下
吾令帝閽開関兮
倚閶闔而望予
われわれの不幸は、離騒のかわりにネバーエンディングストーリーとかなんとかとかたくさんの物語で空中をとんだ気になっていることだ。そもそも自分で飛んでもいないのに、肉体的にもう飛んだことがあるスティグマが刻まれている。こうなると、言語によって殊更現実を引っ張るみたいな革命は幻想だ。言葉に態度をくっつけているのではなく、態度に言葉をくっつけているのを我々は自覚することが難しい。実際、どの程度の態度をとったらいいかで、言葉は教科書で習う言葉ではないものがいつも要求されている。
ネットがもたらしたのは集合的沸騰でもあるけども、言葉は信用できねえなという絶望感の広がりに比べるとあまり大したことではない。そしてそういう絶望のなかで人間は不信感に悩むのではなくますます嘘つきになるという真実があきらかになり、――というか、昔からそうであったに違いないのだが、目の前にしなくてもすんだのだ。今は違う。