★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

徹底撤退

2017-03-06 22:51:59 | 思想


録画しておいた「小野田元少尉の帰還」というのを観た。小野田氏がフィリピンにいたころ、三十人ぐらい民間人を支配のためかサバイバルのためか分からんが殺害していたことはよく知られている。そんな彼をどうやって日本に帰還させるかをめぐって、日比両政府がいろいろ考えた証拠がでてきたという番組。わたくしは、連合赤軍の連中にみられる如く、徹底抗戦というのはしばしば徹底的に逃避していることの隠蔽であると考えるので――、小野田氏もそうだったんじゃないかと想像する。小野田氏たちは戦闘を続行もし、また徹底的に戦争(のおわり)からは逃避し続けたのではなかろうか。いずれにせよ、人間は欺瞞を欺瞞として意識し続けることは難しく、都合の良いように理念を作り上げて案外罪悪感も感じない。小野田氏の名言録みたいなものをみると、目的意識を持つことを非常に重要視している。それは、徹底的に主体的ではないが、何か「らしく」生きることとは矛盾しない。――これは、結局いいように使われる危険性が高い庶民のサバイバル術――処世術だと思う。全く小野田氏とは境遇も違う我々であるが、なんとなく思考のありようは推測がつくというものだ。

これに対して、政治の当事者たちは、なんとか事の優先順位をつけなければならないし、多くの人に支持される理由をかかげて格好もつけなければならない。知り合いにこういう人たちがあまりいないから推測が出来ないが、この人たちは人生にどういう感慨を持っているのであろう。