なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ35

2015年12月26日 08時52分46秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

みなさん、年賀状はもう出しましたか?
元旦に届くには25日までに出してくださいということでしたよね。
私はですね、今年、史上最速の出来上がりで、郵便局に持っていったら、「まだ受け付けていません」と言われる時期に出来てしまいました。
みなさん知ってました?
受け付けは12月15日からだったのです。
ええー、年賀状ってもっと前から受け付けていませんでしたっけ。
以前、「もう受け付けしているの?そんなに早く年賀状を書く暇人がいるんだねえ」と、冷笑した記憶があります。
まさか自分が、という感じです。

加えて、一周忌とか三回忌とか、来年の年忌を張り出す「繰り出し帳」も早々と完成し、「今年はどうしたの?」と言われるほど。
暇なのです。
他に何かしなければいけないことないかと探してみるのですが、特に何もありません。
雪かきをあてにしてましたから。
と、思っていたら、来ました!
夜半から吹雪です。
除雪機が出動するほどの雪ではありませんが、風があります。
来るべきものが来るとやはり落ち着きます。
来るのか来ないのか、いつ来るのか、どれほど来るのか、と気を揉んでいるよりも、来てしまった方が腹が座ります。
これでいいのです。

昨晩は、先住寺宿用院の先々住の祥月命日。
毎年この日、総代役員でお勤めをして夜は忘年会となります。
非常に楽しく飲みました。
古巣の皆さんと一献傾けるのはとても楽しいです。
ということで、いささか飲みすぎました。

来年はきっと、もっと暇になると思います。
暇であることにも慣れていかなければなりません。
今の状態のまま死ぬと死因は、「暇によるショック死」と診断されるに違いありません。
あるいは太り過ぎ。「デブ症」。
これからは、回遊魚ではなくイソギンチャクのように、一ヶ所に定着して来るものを待っているような生き方に変えていく必要があります。

さてさて、バカバカしいことを言ってる間に来週はもう新年です。
今年、この番組にお付き合いいただきありがとうございました。
大晦日、それぞれの家で歳神様をお迎えし、皆様に新たな命を授けていただく「落とし魂」がありますように。
よいお年をお迎えください。



クリスマスって

2015年12月24日 09時12分19秒 | ふと、考えた
クリスマスというものは、子どもと若いカップル以外の者にどんな意味があるのだろう。
クリスチャンでもない大人にとって、それほど楽しいものだとは思えない。
老人施設でクリスマス・パーティをどうしてもやらなければならないのか。
老人は、楽しそうな演技を強いられてはいないか。
ようするに、それは「商戦」であり、「経済効果」でしかないだろう。
クリスチャンでもない日本人がこの日教会に詣でることはほとんどないだろう。
そんなことはもうどうでもいいのか。
信仰深いクリスチャンが、このバカ騒ぎを喜んでいるのだろうか。

つまりは、信仰の対象は経済でありお金でしょう。
そのために利用されるクリスマスっていったい、と思う。
正月はとりあえずは神社に参詣し、お盆はとりあえずはお墓やお寺のお参りをする人はまだ多くいると思う。
宗教儀礼の形はとりあえず維持されているだろう。
それに比べクリスマスは。
これは文化なのか。踊らされているのか。誰に。

ハロウィンなどというものもここ最近経済信仰儀礼として浸透してきているようだが、いいのかそれで。
誰のためにやらされているのだ。
それよりも、節句だとか、冬至カボチャなどを大切にした方がいいのではないか。
菖蒲湯だとか、栗名月だとか、山の神祭礼だとか、季節毎の行事があっただろう。
経済ではないものは失われて、意味も分からず経済信仰儀礼だけが幅をきかせるというのは、国民のアイデンティティを喪失させることではないのか。

先日岩手で待ち合わせをしたショッピングモールで車に乗っていると、側にあった宝くじ売り場が目に入った。
見るともなしに見ていると、時節柄か、ひっきりなしに客が吸い寄せられていた。誘蛾灯か。
それにしてもくじを買い求める人がこんなにもいるのか。こんな田舎にもと驚いた。
生涯に一度だけ、仲間に誘われてついでに買ってもらったことはあるが、自分で買ったことは一度もない。
「宝くじに当たったようなものだ」という喩えになるぐらい当たらないものだとは誰もが分かっているのに何故こんなにも買うのか。
買わなけりゃ当たらない。もっともだ。
しかし、ほとんど当たらないと思いながら何故買うのか。
夢を買う。
もし当たったら、ああしてこうして、という想像の楽しみを買うということか。
でも、もし本当に当たってしまったら、と思う。
苦労もあるのではないか。
何に使おうか悩む。誰にあげようか考える。その使い道で意見が合わずケンカする。
家を建てて引っ越し、仕事をするのもバカバカしくなってくじ三昧の日暮らしをする。
そんな大人の姿を見て育つ子どもは幸せになれるのだろうか。
子育てとしてそれはいいことなのか。
つまりは、長い目で見てそれは幸せなことなのか。
刹那の夢のために、子孫まで幸せに暮らせる大事なことを捨て去られてしまうことにはならないのか。
くじにも災難にも当たらずに生きた方が幸せがような気がする。

元々富くじは、神社仏閣の再建を目的として始まったものらしい。
被災地復興目的で発売されたこともあったようだ。それならばと思わないではないが、誘蛾灯にはそれらしい言葉は見当たらない。

ま、買わないものが何を言っても遠吠え、ごまめの歯ぎしりにしかならないので、失笑もの。

クリスマスや宝くじという光景をみて、なんだかなあと思ったこの頃。
冷めた年頃になったなあ。


三ちゃんのサンデーサンサンラジオ34

2015年12月19日 17時35分23秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

何と!念願の、
中島みゆきコンサート「一会」に行ってきました!
先週の月曜日、大阪オリックス劇場です。
実は、コンサートは初めてなのです。
夜会には行ったことがあります。
劇場版やDVDでコンサートの様子は観たことがあります。
でも、生のコンサートは初めてだったのです。中島みゆき。

いや~、さすがにすごいですね。
2400名収容の客席はもちろん満席。
というか、販売からして、日程の第3希望日まで申し込んで、しかも抽選でチケットが買えるというシステムになっています。
私の場合一応ファンクラブに入っているので、先行販売があり、わりと希望日が取りやすいということはあります。

開場5時30分の少し前に着こうと思って行ったら、何と、すでに長蛇の列。
会場前の公園に、もう200名はいたような。
さらに続々と観客は訪れ、列は何重にも蛇行してあっという間に1000人以上に膨れ上がったと思います。
開演前に記念グッズを買い求めたいとの思いがそうさせたのでしょう。
並んでいる顔ぶれを見ると、多くは40代から60代の男女がほとんどです。
私もど真ん中という感じでしょか。

コンサートは2部構成になっていました。
途中で休憩を入れないと、我慢できなくなって席を立つ人がいると申し訳ないと、あくまで年齢層への配慮があります。
6時30分、始まりました!第1部「Sweet」。
最新アルバム「組曲Suite」にかけてあるようです。
「甘く」と本人が言っておりました。
「もう桟橋に灯りは点らない」「やまねこ」「ピアニシモ」「六花」「樹高千丈 落葉帰根」「旅人のうた」「あなた恋していないでしょ」「ライカM4」「MEGAMI」と9曲。
途中には例の調子のMC。
「このギャップが中島なのよ」とは本人の弁。

休憩をはさんで第2部は「Bitter」。
甘さの次は苦みという構成です。
冒頭、オールナイトニッポンのテーマ曲が流れ、ラジオの生放送という設定。
観客からのお便りを読みながらのトーク。
そして、「ベッドルーム」「空がある限り」「友情」「阿檀の木の下で」「命の別名」「Why&No」「流星」「麦の唄」と8曲を熱唱。
古い曲と新しい曲を散りばめた流れでした。

そして第3部にアンコール。
「浅い眠り」「夜行」「ジョークにしないか」の3曲。
ビッチリ3時間のコンサートでした。

正直、選曲のせいか、期待したほどの感動するような盛り上がりには欠けたと感じました。
それでも、生の魅力にはワクワクドキドキし、また次回、再来年にも絶対行くぞと心に決めたことでした。


今週はここまで。
また来週お立ち寄りください。






三ちゃんのサンデーサンサンラジオ33

2015年12月13日 06時50分58秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

雪が降りません。
とてもいいことなのですが、心のどこかに寂しさがあります。
ここ5年間豪雪に見舞われて、今年は少ないんじゃないかと毎年期待して毎年裏切られてきました。
今年はようやく願いがかなった、と思いきや、寂しさを感じるとは。
やはり雪国の人は雪とともに暮らしてきたので、あるものがないと物足りないようです。
これでね、後からドカッと降ると、ない方が楽だったのに何で寂しいなんて思ったのだろうと後悔するに違いないのですが、それは分かっているのですが、それでも今の正直な気持ちは物足りないのですよ。

もう一つ心待ちにしているのは、スキー場の開幕です。
去年一年休んでしまった赤倉場所、今年は何とか土俵に上がりたいと待ち望んでいます。
それなのに、その肝心な土俵ができないということではどうしようもありません。
稽古のために始めたルームウォーカーも近頃サボっていて、やはり楽しくないと続かないと、いきなり土俵に上がろうともくろんでいるのです。

運動不足解消も除雪をあてにしていたので、筋肉の衰えすらも雪に責任転嫁している始末。
ヨーシ来てみろ、ドカッと降ってもきれいに除雪してやるぞと、捻じり鉢巻手に唾つけて、まるでニシンを待つ飯場のヤンシュのような気分になっています。

それなのにそれなのに、昨日今日のこの陽気はどうですか。
12月これでいいのですか。
不吉な予兆ではないですか。
降るときには降った方がいいと思うのですがお天気さん。
雪囲いも万全に、消雪ポンプ設備の点検、除雪機の整備も怠りなく行いました。
いつ来ても安心です。

待ってマース!


今日はここまで、また来週お立ち寄りください。


一つの呪文

2015年12月08日 15時41分40秒 | ふと、考えた
波があるだとか、飽きっぽいだとか、ブログを休んでしまった理由を書きましたが、それはほんの言い訳で、実は本当の理由があります。
一つの呪文に金縛りにあい、「書きたくなくなった」というのが大きな理由です。
その呪文とは「unlock」。

佐藤良規さんは一関市藤源寺の住職です。
気仙沼のNPO「あつまれ!浜わらす」の代表であり、私とは以前にタイへスタディツアーに一緒した仲間でもあります。

彼が、今年10月から書き始めたブログ「Free Individual Buddist」のキーワードが「unlocck」。

彼は、震災の時、たまたま海岸沿いにいて津波に遭い、トラックの屋根で九死に一生を得たという体験から、人生の地軸が変わり、生きている言葉がほとばしり出てきた、と語ります。

その後の彼のブログは、まさに泉のごとくコンコンと湧き出てくる知恵の言葉の噴水のようです。
それは、震災によって言葉が生まれたということではなく、溜まっていたものが活動を始めたということだと思います。
彼にとって、地震と津波は、まるでスパークリングワインの瓶を思いっきり振られたみたいに、静かに眠っていたものが、思いっきり発砲し、栓をこじ開け、あふれ出してきたということでしょう。
ないものはいくら振っても出てきません。

そのブログのキーワード「unlock yourself」。
自らかけている鍵を開ける、解き放つということ。
以来、私の頭の中を呪文が駆け巡っています。
詳しくは私が語るより、彼の声に直接耳を傾けていただきたい。
このブログを読んでいただいた方には、是非一度、必ず、彼のブログを訪ねてほしいと切に願います。

http://satoryoki.hatenablog.com/entry/2015/12/03/094719


そして、私は、彼のブログを読み始めてから、自分のブログの小ささに嫌気がさし、空しくなり、書く気がしなくなったというのが本音のところです。

でもこうやって橋渡しができれば、全く意味のないこともないかもしれませんので、空しいながら、私は私で書く場所を手放さずにおこうと思っています。

上のページは、最近の特に秀逸な記事ですが、他の記事もみな素晴らしいので、是非、初めから読んでいただくことをお勧めいたします。

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ32

2015年12月05日 18時52分37秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週も、まるで何事もかかったように始まりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

いつの間にか12月に突入してしまいました。
いつの間にか今年も終わってしまいそうです。
年々早く感じるのは歳のせいですね。

なぜ歳をとると一年が短いと感じるのか、という話を何かで読んだことがあります。
それは、経験からくる慣れ、という話でした。
こういう話です。

知らない街に行って、知らない道を初めて歩くとき、例えば、知り合いの家を訪ねるようなとき、その道はとても遠く感じる。
でも、帰り道はそれほどにも感じない。
何度も通っているうちには全く遠いとは感じなくなる。ということがある。
それは、初めての場所、初めての経験は、見るものが全て初めてのものなのでとても頭を使う。
そのために時間がとても長くかかったように感じるのだ。
一方、何度も経験していることは、珍しくもないのでそれほど頭を働かせることもない。
時間があっという間に過ぎてしまう。
だから、
子どもの頃は、毎日新しいことの連続で、見るもの聞くもの全てが刺激に満ちている。
なので、時間はとても長く感じる。
方やお年寄りは、毎日が同じことの繰り返しに見えるので短く感じる。
というような話でした。

そういうことなのだそうです。
でも確かにそうなのでしょうが、考えようによってはこういうことも言えるのではないでしょうか。
毎日同じことの連続だと思っている日々も、いつまで続くと保証されない毎日のはずです。
やがてやってくる最期の日は、来年かもしれないし明日かもしれません。
毎日同じ日の連続だと思うのは、明日も同じ日がやってくると思っているからに違いありません。
もし、今日が人生最後の日だとしたら、決して昨日と同じ日ではないはずです。
毎日が経験したことの連続だとしても、最後の区切りを想定すれば、毎日が新たな経験の連続だと気づくことでしょう。

来年も12月を迎えることが出来るでしょうか。
いやいや、12月も日数が残っています。
正月を迎えることが出来るでしょうか。
今日が最後の一日だと思えば、決して一日は短くないはずです。
せめて今年の残りの日々、毎日を最後最後と受け止めて暮らしてみたらいかがでしょう。
そうすれば、正月を迎えられた喜びは一入であろうと思います。


今日はここまで。また来週お立ち寄りください。


雪のように

2015年12月04日 14時40分52秒 | ふと、考えた
感情に波があって、というか、飽きっぽいだけかもしれませんが、何だか急にSNSへの関心が薄れて、フェイスブックへのこまめな投稿、ブログのルーティーンもすっぽかしたままになってしまって、まあいいか、とたかをくくっていたら・・・・
「黙って休むな!」とお叱りをいただきました。
ありがたいことです。
こんなブログを欠かさず読んでくれる人がいて、チャンと書けと叱咤激励してくれる人がいる。
わかりました!
ご期待に沿えるかどうかは疑わしいですが、もう一度気を取り直して臨んでみます。
よろしければ時々覗いていただき、叱咤いただければ幸いです。
只今東京からの帰りの新幹線の中からですが、山形は雪の模様です。
今晩は河北町で団体の忘年会ですが、明日から心機一転、雪のような純白な気持ちで出直してみます。