♪三ちゃんのサンデーサンサンラジオ!
今週も始まりました三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。
お相手は、三ちゃんこと、三部和尚です。
先週は北海道からお送りしましたサンサンラジオ、今日はそこでの出来事をお話しましょう。
先週お伝えしたように、稚内オホーツク方面を8日間、布教の仕事で回っていました。
毎日お寺さんを移動しながらお勤めします。
移動には、若い和尚さんが交替で運転手を務めてくれて、その間色々な話をしたり聞いたりします。
その中で、一人の和尚さんがこんなことを話しました。
この春、ボクにガンが見つかって、切除したので大丈夫なのですが、医者からガンだと言われた時に、「やったー、来たー!」と思いました。
障害のある父から、子供の頃どれだけ苦労したかという話をずっと聞いていて、だからこそ人の痛みが分かる、気持ちが読めると言われていたので、お坊さんにはそういう能力があったほうがいいのだろう。
自分にはそういう経験もないので痛みが分からないのかも知れないと思っていました。
ガンと言われて、よし、これで少しは痛みの分かるお坊さんになれるかも知れない、と思いました。
この気持ち、分かるなあと思いました。
自分も少年の頃、健康であることに嫌悪感を感じるような時期がありました。
どこかに傷がないかと探したり、病気であることをうらやましがったり、そんな不遜なことを考えていた時期がありました。
50歳を超えるようになると、同級生の多くが、父を亡くしたり母を亡くしたり、両親を亡くした者も出てきます。
そんな同級生の前で、お教を読んだり話をしたりするわけですが、何となく空々しいような、後ろめたいような、両親のいるお前に何が分かるんだと言われているような思いがありましたから、父が亡くなったときは、「よし、これで半分は、話をしても許されるか」とホッとしたことはありました。
でも実際は、分からいものは分からないのだし、無理に分かる必要はないのであり、無理に分かろうとすることは、むしろ痛みを抱えている人に失礼になることもあるでしょう。
人の痛みは人それぞれであり、他人には分からないものですから、「あなたの気持ちは分かる」などと軽々しく口にするようなことでありません。
だからこそ、同じ体験をした人には共感を覚え、痛みを分け合うこともできるでしょう。
分かるようになった時に分かればいいのですね。
だけど、他人の痛みを、「分かりたい!」と思う強い気持ちは、分かるなあ。
慈悲の「慈」の字は、他人の痛みを分かろうとして分かりきれない苦しみから発せられる呻きからできた、と聞いたことがあります。
分からないけど分かろうとする気持ち、それがお坊さんの資質かもしれません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
今週も始まりました三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。
お相手は、三ちゃんこと、三部和尚です。
先週は北海道からお送りしましたサンサンラジオ、今日はそこでの出来事をお話しましょう。
先週お伝えしたように、稚内オホーツク方面を8日間、布教の仕事で回っていました。
毎日お寺さんを移動しながらお勤めします。
移動には、若い和尚さんが交替で運転手を務めてくれて、その間色々な話をしたり聞いたりします。
その中で、一人の和尚さんがこんなことを話しました。
この春、ボクにガンが見つかって、切除したので大丈夫なのですが、医者からガンだと言われた時に、「やったー、来たー!」と思いました。
障害のある父から、子供の頃どれだけ苦労したかという話をずっと聞いていて、だからこそ人の痛みが分かる、気持ちが読めると言われていたので、お坊さんにはそういう能力があったほうがいいのだろう。
自分にはそういう経験もないので痛みが分からないのかも知れないと思っていました。
ガンと言われて、よし、これで少しは痛みの分かるお坊さんになれるかも知れない、と思いました。
この気持ち、分かるなあと思いました。
自分も少年の頃、健康であることに嫌悪感を感じるような時期がありました。
どこかに傷がないかと探したり、病気であることをうらやましがったり、そんな不遜なことを考えていた時期がありました。
50歳を超えるようになると、同級生の多くが、父を亡くしたり母を亡くしたり、両親を亡くした者も出てきます。
そんな同級生の前で、お教を読んだり話をしたりするわけですが、何となく空々しいような、後ろめたいような、両親のいるお前に何が分かるんだと言われているような思いがありましたから、父が亡くなったときは、「よし、これで半分は、話をしても許されるか」とホッとしたことはありました。
でも実際は、分からいものは分からないのだし、無理に分かる必要はないのであり、無理に分かろうとすることは、むしろ痛みを抱えている人に失礼になることもあるでしょう。
人の痛みは人それぞれであり、他人には分からないものですから、「あなたの気持ちは分かる」などと軽々しく口にするようなことでありません。
だからこそ、同じ体験をした人には共感を覚え、痛みを分け合うこともできるでしょう。
分かるようになった時に分かればいいのですね。
だけど、他人の痛みを、「分かりたい!」と思う強い気持ちは、分かるなあ。
慈悲の「慈」の字は、他人の痛みを分かろうとして分かりきれない苦しみから発せられる呻きからできた、と聞いたことがあります。
分からないけど分かろうとする気持ち、それがお坊さんの資質かもしれません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。