三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第389回。10月30日、日曜日。
新潟十日町に来ています。
昨日今日と、友人の寺の晋山式と退董式に呼ばれてお邪魔しています。
友人は私より一つ上で67歳ですから、引退するにはまだ早いと思うのですが、息子さんに席を譲って自由にしたいとのこと。ミュージシャンでもあるので、やりたいことがあるのでしょう。
彼とはカンボジア難民キャンプのボランティア同期で、1980年8月、同じ飛行機に乗り初めて海外へ飛び立った仲です。
戦場の最前線に向かう志願兵のような覚悟で緊張していたことを覚えています。
一方初めての海外旅行でもあり、ワクワク期待して機体に乗り込んだことも事実です。
ところが、あてがわれたのは安いパキスタン航空の飛行機で、座席も薄く機内食も残念な代物、きれいなスチュワーデス(当時)でもなく、むさ苦しいひげ面のスチュワードでした。
あまり快適ではありませんでした。
ただ、アルコールは好きなだけ飲めたので、手あたり次第いろんなものを飲んだと思います。
到着してすぐ下痢したのはそのせいです。
バンコクから車で5時間ほど東に行くと、サケオという町に難民キャンプはありました。
広大な敷地に仮設として建てられた小屋のような住居に、当時3万人が収容されていました。
初めて難民キャンプという所に足を踏み入れ、恐る恐る難民を見ました。「何を見てるんだ」という視線が責められているように感じ、いたたまれない気持ちになりました。
やせ細って気力のない大人たちに比べ、子供たちは元気に走りまわり笑顔を返してくれます。
そんな子供たちに絵本を見せるというのが我々の移動図書館活動でした。
キャンプの中にできた学校で文字を学んでも読む本がない、そこに、日本のきれいな絵本にカンボジア語の訳文を張り付けた絵本を持ち込むと、みんな目をキラキラ輝かせて手に取り、文字をムシャムシャ食べるように読んでいました。
我々の宿舎はキャンプの近くの村に借りた家で、木の床にゴザを敷いただけの寝床、水道はなくドラム缶に雨水をためてそれを沸かして飲んでいました。
そこで2か月を共にした仲なのです。
以来、ナベちゃんサンちゃんと呼び合って42年が経ちました。
お寺を後継者に任せ、自由に羽を伸ばしてさらに活躍されることを願います。
先週5日間は東京でした。
布教師養成所の講師という任で研修道場に詰めていました。
曹洞宗布教師を目指す若い37名の僧侶が、目をキラキラさせて学ぶ姿は、それを見ているこちらまで気持ちが熱くなります。
机を並べる仲間に刺激され、支えられ、まさに切磋琢磨して学ぼうとしているのです。向上しようというそのベクトルが周りに刺激を与えるのです。
刺激は刺激を呼び、エコーのように増幅されて互いに返ってきます。集団で学ぶことの意味はそこでしょう。オンラインでは体験できないことです。
私も少なからず刺激を受けました。もっともっと学びたいと思いました。
今居る自分の場所で、独りでももちろん学べますが、人間はなかなか怠けやすい、自分に弱い。
林の木が互いに牽制しあって真っすぐ伸びるように、集まることで高く伸びることはあるのです。
時折、向上心のある人の輪に入ることは、自らを更に向上させるために必要だと感じます。
新潟十日町に来ています。
昨日今日と、友人の寺の晋山式と退董式に呼ばれてお邪魔しています。
友人は私より一つ上で67歳ですから、引退するにはまだ早いと思うのですが、息子さんに席を譲って自由にしたいとのこと。ミュージシャンでもあるので、やりたいことがあるのでしょう。
彼とはカンボジア難民キャンプのボランティア同期で、1980年8月、同じ飛行機に乗り初めて海外へ飛び立った仲です。
戦場の最前線に向かう志願兵のような覚悟で緊張していたことを覚えています。
一方初めての海外旅行でもあり、ワクワク期待して機体に乗り込んだことも事実です。
ところが、あてがわれたのは安いパキスタン航空の飛行機で、座席も薄く機内食も残念な代物、きれいなスチュワーデス(当時)でもなく、むさ苦しいひげ面のスチュワードでした。
あまり快適ではありませんでした。
ただ、アルコールは好きなだけ飲めたので、手あたり次第いろんなものを飲んだと思います。
到着してすぐ下痢したのはそのせいです。
バンコクから車で5時間ほど東に行くと、サケオという町に難民キャンプはありました。
広大な敷地に仮設として建てられた小屋のような住居に、当時3万人が収容されていました。
初めて難民キャンプという所に足を踏み入れ、恐る恐る難民を見ました。「何を見てるんだ」という視線が責められているように感じ、いたたまれない気持ちになりました。
やせ細って気力のない大人たちに比べ、子供たちは元気に走りまわり笑顔を返してくれます。
そんな子供たちに絵本を見せるというのが我々の移動図書館活動でした。
キャンプの中にできた学校で文字を学んでも読む本がない、そこに、日本のきれいな絵本にカンボジア語の訳文を張り付けた絵本を持ち込むと、みんな目をキラキラ輝かせて手に取り、文字をムシャムシャ食べるように読んでいました。
我々の宿舎はキャンプの近くの村に借りた家で、木の床にゴザを敷いただけの寝床、水道はなくドラム缶に雨水をためてそれを沸かして飲んでいました。
そこで2か月を共にした仲なのです。
以来、ナベちゃんサンちゃんと呼び合って42年が経ちました。
お寺を後継者に任せ、自由に羽を伸ばしてさらに活躍されることを願います。
先週5日間は東京でした。
布教師養成所の講師という任で研修道場に詰めていました。
曹洞宗布教師を目指す若い37名の僧侶が、目をキラキラさせて学ぶ姿は、それを見ているこちらまで気持ちが熱くなります。
机を並べる仲間に刺激され、支えられ、まさに切磋琢磨して学ぼうとしているのです。向上しようというそのベクトルが周りに刺激を与えるのです。
刺激は刺激を呼び、エコーのように増幅されて互いに返ってきます。集団で学ぶことの意味はそこでしょう。オンラインでは体験できないことです。
私も少なからず刺激を受けました。もっともっと学びたいと思いました。
今居る自分の場所で、独りでももちろん学べますが、人間はなかなか怠けやすい、自分に弱い。
林の木が互いに牽制しあって真っすぐ伸びるように、集まることで高く伸びることはあるのです。
時折、向上心のある人の輪に入ることは、自らを更に向上させるために必要だと感じます。
やがて死すべきものの今命あるはありがたし。
命のある間、今よりあと一歩、あるいはあと半歩、向上できるよう、自らを鼓舞していきましょう。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。