なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ122

2017年08月27日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月27日日曜日。

今朝は秋田からお送りしています。
一昨日秋田市文化会館にて、源正寺さん主催の「第8回癒しのコンサート」が行われ、お話をさせていただきました。
そして昨日の夜は、大曲の花火に誘われてこちらも連れて行っていただきました。
ということで、まだ秋田にいます。

「癒しのコンサート」は、源正寺さんと北海道えりもの佐野俊也師の協働作業としてこれまで実施してこられました。
毎回音楽と講演で構成され、経費を除いたチケットの売り上げは、シャンティ国際ボランティア会を通じてカンボジアとミャンマーの教育支援に使われるというチャリティコンサートです。
今回の出演は、ヴァイオリニストの境谷睦美さん、二胡奏者でお坊さんの山本大雲師、そして私の講演と佐野師の挨拶もあります。
シャンティのスタッフも来てクラフトの販売と呼びかけを行いました。
こういうイベントを毎年連続して開催するというのは大変なことです。
しかも前売り券は2500円。集中講座の1000円とは金額が違います。
これを400枚売り上げるというのですから、その大変さは推して知るべしです。

でも、思いますね。
おそらく源正寺の方丈様は、この事業をやることを喜びにしているんだと。
自分のすべきことを見つけた人の喜びは分かります。
いろんな人をつなぎ、多くの人の力を合わせることでできることがあります。
自分が中心にあって、そういう仕事ができることの喜びを感じます。
そこに共感してくれた人たちが、ノーギャラで出演してくれています。

人生は短く、時間はどんどんどんどん過ぎ去っていくので、いのちのあるうちにやるべきこと、やりたいことをやらなければなりません。
もちろん、ひとを傷つけたり、悪事は、どんなにやりたくたくてもすべきではありません。
そうではなく、自分も周りの人も笑顔になる、喜びになるようなことには躊躇すべきではありません。
他人からどう見られようが、何を言われようが、はばかる必要はありません。
本当に自分の喜びになる行為は、周囲にとっても喜びとなるはずです。
真実周囲の喜びになる行為は、同時に自分の喜びであるはずです。
そうでなければ善事とはなりません。
こんな大きなことでなくとも、自他ともに喜びとなる行為はいくらでもあります。
自分のいのちを使って他人を喜ばせることができ、その上自分までも喜ぶことができたなら、それ以上の幸せはないでしょう。
生まれてきてよかった、生きてきてよかったと思える行為を、しなければなりません。生きているうちに。

大曲の花火は、実は去年も来ました。
気仙沼の清涼院さんに誘われて来ました。
あまりの人の多さに疲れてしまって、半分は呑み疲れですが、もうこれでいいかなと思っていましたが、せっかくのお誘いなので今年も見てしまいました。
日本を代表する大曲花火大会を、火薬の匂いもする間近で見上げることができるのは幸せなことでした。
これをもって、自分の夏の締めくくりとします。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


©遠藤浩信エンドーフォト

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ121

2017年08月20日 04時46分26秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月20日日曜日。

お盆もあっという間に過ぎました。
最上町は毎日霧雨の天気で肌寒いほどでした。
その影響で、期待していた夏場の成長が低調に終わったアスパラ農家は肩を落としています。
農業は自然相手ですから、天候による浮き沈みは宿命のようなものですが、その様子を見ている周囲の目も陰りがちです。
これから9月までの間少しでも盛り返してくれればいいのですが。

8月もバタバタと過ごしています。
1日には塩釜、5日から9日隠岐の島への布教巡回があり、お盆中に身内の不幸もありました。
25・26日には秋田、28日河北町で環境講演会、29日は宇都宮と予定が入っています。
こちらは涼しいのは助かります。
どちらも都合良くはいきませんね。

このところ、野良猫が家に入ってきて家猫と鉢合わせています。
夜中に大きな唸り声を上げて家人を悩ましています。
家猫が自分で開けた扉からノラが入ってくるので、原因は家猫にあるのですが、家の中で顔を合わせるとやはり家猫が優位のようです。
家猫が2匹いてそれぞれかわいがっているし、テレビの猫の映像を観て目を細めていますから、皆猫好きではあると思います。
しかし、家に侵入してくる「ノラ」に対しては目の敵のように怒気を含んだ対応をしてしてしまいます。
これは猫好きと言えるのか、と悩みます。
岩合光昭さんには家猫と野良猫の対応の差はないのでしょうか。

猫にとって、家の中と外の区別が明確でないことは理解できます。
ましてや、「あの猫にはエサも寝るところもあって自由に振る舞っているのに、なぜ自分は怒鳴られて追い払われるのか」、ノラには理解できないに違いありません。
かと言って、ノラが我が物顔で家猫のエサを食べていたり、くつろいでいたりするとこちらの心中穏やかではありません。
家人にとっては、ノラが嫌いというよりも家猫を守るという気持ちなのだと思いますが、それにしても、ノラを見る目には明らかに敵意が感じられます。どう見ても同じ猫に対する視線とは思えません。
もちろん私も同じです。
もしかしたら、家の外でその猫に会えばかわいいと思えるのかもしれませんが、うーん微妙。
とても岩合さんにはなれません。
我が子可愛さ、我が子に対するえこひいきは、人間も猫も同じなのでしょう。
ま、そうでなければ我が子を育てることは難しいのかもしれません。
猫は好きですが、家に入ってくる野良猫は嫌いということとで、どうか勘弁してください。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




三ちゃんのサンデーサンサンラジオ120

2017年08月13日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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8月13日日曜日。

お盆に突入しました!
お盆さえなかったらお坊さんはもう少し楽なのに、と思ったりします。
田植えのない農家のようなものでしょうか。
それでも松林寺はまだ、棚経も一部だけなのでいいのですが、宿用院はお盆三日の内に県内の全檀家約100軒を回るので、それはそれは大変でした。
膝は痛くなるし、声は出なくなるし。
今は若い者が苦労していますが、年をとってからできることではありませんね。

山門の前の掲示板に、8月に入って書いたのは、西内正浩さんの句
 「いくたびも 背きし 父の 墓 洗う」です。
お盆ですからそれらしく。
父が生きているうちは、何度となく反抗してきた。
亡くなってから気がつくこと、分かることがたくさんある。
今は亡き父に、詫びながら、その背中を流すように墓を洗う。という句ですね。

福島県飯舘村に「あいの沢」という所があります。
飯舘村では、震災と原発事故による全村避難の数年前から、「あいの沢」に因み、愛の句を募集し、入選作は句碑にして沢に建てる、というイベントを行ってきました。
その選者は俳人の黛まどかさんでした。
震災から2年目の年、黛さんの呼びかけで、飯舘村の墓掃除のボランティア活動がありました。
飯舘村はまだ住むことはできないけれど、お盆には里帰りしてお墓参りをする人もいるでしょう。
できれば、少しでも墓地の周りをきれいにして、気持ちよく墓参りしてもらおう、という意図からでした。
私を含め最上町から3人、増田明美さん、わたせせいぞうさんなど全国から約50名が集まったと思います。
墓地の周囲の草むしりの後、あいの沢に行き、句碑を眺めてきました。
その中で出会ったのが先の句だったのです。
 いくたびも 背きし父の 墓洗う
パッと読んだときに、「これは俺の句だ」と思いました。
他にもそう思った男性がいたようです。
父親と息子の関係はどちらも似たようなものなのかもしれません。

 亡くなって 初めて気づく 親の恩
死んでから気がついたって意味がないじゃないか、と思われる方もいるかもしれませんが、そうではないと思うんですよ。
もしかしたら人間は、そのようにしていつの時代も、亡くしてから気がつき、悔やみ、詫びながら手を合わせてきたのではなかったのか。
その時、詫びる気持ちの中で、優しさや人間性を取り戻し、「大人」として生きてきたのではなかったか、と最近思うのです。
亡くなってから気づき、詫びながら手を合わせることは、決して無駄でも無意味でもないと思います。
死んだ人からも学べるのが人間の特長なのですから。
むしろ、悔いと詫びこそが人間らしさ、なのかもしれません。
そして、墓前で真剣に手を合わせる姿を見て、子や孫の心に宿るものもあるでしょう。
大人から教えられずに、あるいは目で見ることもなく、手を合わせることを覚える子などいるはずがないじゃありませんか。
人間らしさを、して見せること、それは大事なことですよね。
子どもの前でも照れずに、真剣に手を合わせましょう。お盆なのですから。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




三ちゃんのサンデーサンサンラジオ119

2017年08月06日 04時57分03秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月6日日曜日。

今日は隠岐からお送りしています。台風が近づいています。
昨日、山形空港から大阪伊丹空港を経由して隠岐の島に着きました。
世界遺産になった「沖ノ島」は沖合の「沖」と書き福岡県にありますが、こちらは島根県の沖合にある「隠れる」という字と岐阜の「岐」の字を書いた「隠岐の島」です。
古くは「隠岐の国」と呼ばれたこともあり、また北前船の寄港地として栄えた島でもあったようです。
島流しの場所として後醍醐天皇も流刑されたことがあり、文化や思想的にも見どころのある島のようです。
隠岐は群島であり、三つの島がまとまった「島前(どうぜん)」と「島後(どうご)」の大きく二つに分かれます。
移住者が多く人口増加で注目を浴びた海士町は島前にあります。
人口は約2万人。力士隠岐の海の故郷ですね。
江戸から明治への動乱期には、領主松江藩への反抗から郡代を追放し島民による自治、いわば独立国であったこともあり「隠岐騒動」と呼ばれています。

今回の訪問は特派布教巡回という仕事ですので、観光地を回るわけではありません。
曹洞宗の寺院が島後の隠岐の島町に6カ寺あり、そこを全部回ります。
しかも、4日間で6ヶ寺で、午前午後の2教場が二日間という過酷な巡回です。
「とにかく暑い」とも聞いているので、覚悟して務めます。
昨日隠岐空港にお迎えに出ていただいたのは、この期間中宿泊させていただく松浜旅館のご主人です。
昨晩はさっそく新鮮な海の幸をご馳走になりました。
毎年恒例のことのようですが、教場への送迎も全てご主人が務めてくださるということで、大変な篤信者であると聞き及んでいます。
安心してお世話になりたいと思います。

話は変わりますが、この国の政治も世界の情勢もあまりよろしくありませんね。
いずれも目先のことに右往左往して、100年200年の長い目で物事を判断していないように見えます。
政治家には、自分のことではなく、過去の歴史に学び、未来の姿を想像し、今何をすることが正しい選択なのか、国と世界の行く末に目を向けてもらいたいと思います。
どの国も、一旦一人の為政者を選んでしまえば、なかなかそれを代えることもできずに、しばらくじっと耐えるしかないような期間が続きます。
北中米露日、一人の考えが国の民の生活を左右するわけですから、かなり危険なことだと思うのですが、ここ最近その一人の力が強くなって、周囲は手をこまねきながら見ているだけのような危機感を感じます。
隠岐のように、過去には住民が蜂起して自治を勝ち取った例もあります。
一人ひとりの見る目を曇らせず、未来を見据えて今何をすべきかを、しっかりと腹に据える必要があるでしょう。
もし未来の自分が今の自分を見ることができても悔いのないようにしたいと思います。

今日は広島へ原爆が投下された日です。8時15分、静かに手を合わせましょう。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。