来週土日の4・5日、日本再発見塾の塾生100名の皆さんが最上町を訪れ、各地で「いなか」を満喫してくれる。その一部25名は、立小路で稲刈りの体験をして松林寺に1泊することになっている。
せっかくお寺に泊まってくれるのだから、それなりのご接待はしたいなと思い準備を進めている。
そんなとき偶然にも、新田の三浦さんからお膳の提供があった。漆塗りの立派なお膳30組を頂戴した。何でも、足腰が弱くなって健康にも不安なので、息子さんのところへ引っ越すとのこと。若い頃に苦労して求めたお膳をただ棄てるのは忍びなく、もらっていただければということだった。ブリキの缶3つに収められたお膳は、大事に大切に使ってきたものだろうことがよく分かる。一番上に白紙に包まれた一つがあり、そこには、「昭和33年3月 三浦」と書かれてある。三浦さんだけに「三」にこだわったものだろうか。お膳の裏には「三」の丸字が刻まれていた。
人数も丁度いいし、さっそくこのお膳で食事してもらおうと思い、食器の点検も行った。お寺には大正の時代のものだと思われる黒塗りのお椀一揃えが100組ほど存在している(存在しているというのはぞんざいな言い方だが、ほこりをかぶったまま木箱にザクザクと収められてあった)。その中からメニューに合いそうな器を30組取り出してお膳に並べてみた。何とも古風な味わいが浮かび上がっていい雰囲気だ。宝物を「再発見」したいい機会だった。
再発見塾は東京財団が中心となって企画してきたプログラムで、これまで、三箇所の地方で開催されたのだそうだが、再発見する「日本」とは一体何なのだろうか。それは田舎にあるのだろうか。
おそらくは、自然や食事や文化や人の出会いの中に感じる、安らぎや温もりや心地よさ、それらを見出すことを目的としているのだろう。
しかし、「日本」は土地にあるのではなく、安らぎや温もりや心地よさを感じる「人の中」に、つまり、我々の命にすり込まれたDNAの中にこそ存在するのではないか。
そこに気づくきっかけとして「田舎訪問」があるのだと思うが、二日間で再発見して都会に帰ってまた眠らせてしまうのでは、本来の目的の半分しか達成されない。
心の物置の陰にしまい込んでいた「日本」をいう宝物を掘り起こし、それを「使っていく」ことにこそ再発見の意義があると言える。