女というものは。
二言目には「体にいい」「体に悪い」とおっしゃる。
体のどこにいいとか、何に効果があるとかはあまりどうでもいいらしい。
とにかく体にいいというものは善であり、わるいというものは悪らしい。当然といえば当然の話だが、物事の善悪、判断基準がすべてここにある、というのが女というもののようだ。
それは、本能的にあるいは根源的に女としての存在意義なのだと思う。
命を引き継ぎ、その命を次につなげていく、つまり、命の存続が、女としての最大無二の命題なのだと思うからだ。
何しろ、女は命を産み育てる機能を具有している。ここが男との決定的な違いだ。
対して男というものは。
命の他に大切なものを持ち合わせてしまう動物なのだろう。
体にいいことよりも大事なもの、体に悪いとわかっていながらそれでもやらなければならないこと、したいことを見つけてしまう性質なのだと思う。
胎盤を持つ女には考えられない、信じられない価値観が、男としての存在意義というものでしょう。
「男」かどうかの見極めはそこにあるのかもしれない。
元々男は、染色体からして不完全であり、命を産むことは絶対にできない。
男がいなくても女は生きていけるが、女がいなければ男は生きる意味を失ってしまうだろう。
女性蔑視と誤解なきようお願いしたいが、存在の優劣を述べているのではなく、男女の根源的な違いについて感じていることを述べたに過ぎない。
もちろん、命より大事なものを持ってしまう女もいれば、命よりも大事なものを見いださない男もいるだろう。だからといってそれを否定するものでもない。
しかし、男と生まれてきたからには、体にいいことよりも大事なことを追い求めたいと、私は思う。
たとえそのために人生が多少短くなったとしても、追い求めずに命を延ばすことよりも価値があると、私は思う。